日本語字幕:手書き書体下、太田直子/ビスタ・サイズ(Aliliflex、1.85)/ドルビーデジタル
(独12指定、米R指定)
1942年、トラウドゥル・ユンゲ(アレクサンドラ・マリア・ララ)は、ヒトラー(ブルーノ・ガンツ)の秘書の職を得て、司令本部「狼の巣」に入る。1945年、すでにロシア軍はすぐそこまで迫っていた。ヒトラーの指示はますます混乱を極め、参謀達も真実をそのままヒトラーに伝えられない状況におちいっていた。しかしヒトラーは絶対に逃げ出そうとせず、すでに死ぬ覚悟ができていたのだった。やがて将校達の中にも逃げ出すものと、共に自決しようとするものがハッキリしてくる。 |
かなり衝撃的な映画。こういうものがドイツで作られるようになったということがスゴイと思う。暗く、どっしりとした作品で、見終わったあと無口になってしまうかも知れないが、終戦の直前、司令部ではどんなことが起こっていたのかを、当時現場にいた女性秘書の回想録と歴史家の本に基づいて緻密に、そしてドラマチックに描いている。 描かれているのはドイツ第三帝国の崩壊……というよりもっとスケールの小さい個人レベルのヒトラーの野望というか狂気の夢と、それに乗っかった他の人々の崩れていく姿。たぶんそれは、独裁国家はもちろん、あるワンマン経営の企業が経営不振から倒産していくさまや、カリスマが率いる特定グループ、宗教団体などが崩壊していくさまと一緒なのではないだろうか。ボクは見ていて、以前務めていた会社が解散したときのことをありありと思い出した。そこもワンマンだった。 映画は第二次世界大戦の中盤、ドイツが防戦に回り始める1942年10月、主人公がヒトラーの秘書に雇われるところから始まり、いきなり1945年、ドイツが無条件降伏する日まであとわずか1カ月ほどという4月10日につながる。つなぎは「2年半後」という文字だけ。うまい。この鮮やかな思いきりの良い展開。物語はほとんど狼の巣と名付けた総統官邸の地下豪で展開する。 いきなり砲弾が雨あられと降り注ぎ「これは空襲ではない。砲兵の砲撃だ。なぜそんな近くに敵(ソ連軍)がいるんだ」とわめき散らすヒトラーから始まる。もちろん全編ドイツ語。ボクは「ノスフェラトゥ」(Nosferatu-Phantom der Nacht・1978・独/仏)と「ベルリン・天使の詩」(Der Himmel Uber Berlin・1987・独/仏)しか見たことがないが、いいオジサンという感じのブルーノ・ガンツがヒトラー役を好演。ただエキセントリックなだけなのか、それとも狂気なのかよくわからない紙一重のところを実に微妙に演じきって見事だ。ちょっと猫背で歩き回る感じ、口角泡を飛ばして怒号し将軍達をののしりまくる場面など、本当にこうだったのだろうという気がしてくる。実際にはまったく似ているとは思えないブルーノ・ガンツが、写真や記録フィルムなどで見るヒトラーそっくりに見える。この説得力。恐ろしいほどだ。 地図上には存在しても、すでに戦力を持たない部隊に敵を攻撃させろと命令し、実はヒトラー自身それにうすうす感づいている状態。部下たちもあえて口答えしない。すれば怒りを買うだけだ。映画の中で「スターリンのようにもっと無能な将軍達を処刑すれば良かった」と言わせているが、実際、前年の1944年にヒトラー暗殺未遂事件が発生し、関係者4,000名が死刑および処罰されたという。かつてのお気に入りであったはずのロンメル元帥までもが自殺を強要されているのだ。それを考えると、なおさら側近たちの恐怖が伝わってくる。 そして、本当に狂気を帯びてきてもヒトラーに心酔しきっている人達もいて、彼らはヒトラーの言葉を神の言葉のごとく受け入れる。たとえ、前日にもうおまえ達は逃げろと言い、翌日には1人も逃げ出してはならない死守しろと言うような状態であったとしても。 映画を見ていると、神でもなければ超人でもなく、ただのカリスマ性を持った普通の人だったような気がしてきた。 そして、船が沈みそうになり、それまでヒトラーのおかげで権勢を振るっていた、実際には大した力も持たない男たちの一部が逃げ出そうとし始める。徹底抗戦を言う者もいる。ヒトラーとともに死ぬことを覚悟している者もいる。ヒトラーは将官たちの薦めを聞き入れず、最期の一兵まで徹底抗戦するよう最終命令を出す。この緊迫感、閉塞感。たまらない。狼の巣の外では、中学生くらいのまだあどけなさが残る男の子や高校生くらいの少女までが、軍服を着て戦っている。ヒトラーが直接、勲章を授ける兵にしても、みな高校生くらいの若者で、ヒトラー自身これはもうだめだとわかっているはず。 ゲッベルスの子供たち6人に睡眠薬を飲ませ、深夜、口に無理矢理毒薬を含ませて殺すシーンは身の毛がよだつ。こうしなければならない父親と母親の狂気。生き残ったとしても「マイ・ファーザー」(My Father, Rua Alguem 5555・2005・伊ほか)のような未来が待っていることだろう。その親の子に生まれたというだけで世間は殺人者の烙印を押す。まったくやりきれないシーンだ。 その一方で、逃げようとしたり、反逆的な行為をしたとされる老人などが、確証もないままその場で処刑部隊によって処刑されていく。兵も、武器も、銃弾さえもが不足しているというのに、味方や国民を殺すためのそれらだけはきっちりとそろっており、厳格に遂行されるのだ。他の命令はちゃんと遂行されないことが多いというのに。この辺の矛盾の描き方も素晴らしい。病院ではあちこちで、手が切断されたり、足が切断されたりしている。まさに地獄絵。繰り広げられる狂乱と狂気、そして退廃。国や組織が崩壊するときというのはこんなものなのだろう。 「日本のいちばん長い日」(1967・東宝)でもポツダム宣言受諾をめぐるさまざまなドラマが描かれていて、なんだか似ているような気がした。つまりある組織の終焉とその混乱だ。谷口千吉の「最後の脱走」(1957・東宝)で描かれていた終戦時の混乱というのも、どこか似ているような気が。 史実をよく調べて作っているようで、自殺するヒトラー夫婦の部屋から聞こえてくる銃声は1発(とにかく恐ろしいシーン)。妻のエヴァ・ブラウンは毒をあおり、ヒトラーは毒をあおると同時にPPKで頭を撃ち抜いた。たぶんロシア軍によって撮影されたという写真をもとにしているのだろう。室内にはそのPPKのほかにブローニング(またはオートギス)がおかれ、ソファーには血がついている。 同様に兵士達の銃器も正確なようで、多くがMP44突撃銃を装備し、あとボルト・アクションのKar98kやサブマシンガンのMP40、将校はワルサーP38、P08ピストルを持っている。ただMG34かMG42風のマシンガンはどうもそれらしく作ったもののようだったが、スクリーンでは確認できなかった。 侵攻してくるロシア軍は、モシン・ナガン・ライフルに、マンドリンやバラライカと呼ばれたPPsh41サブマシンガンを装備している。 戦車は動かないがタイガーらしく見えるものとハノマーグ、T-34のように見えるものが走っていた。 そして「戦場のピアニスト」(The Pisnist・2002・仏/独ほか)のような、破壊され尽くした廃虚がすごい。果てしなく続くというほど規模は大きくないが、これだけのセットを組むだけでも莫大な予算と手間がかかる。一体どうやって作ったんだろうか。 「戦場のピアニスト」と言えば、それに主人公を逃がすドイツ将校として出ていた「マイ・ファーザー」のトーマス・クレッチマンが現場を逃げ出したため処刑されるヘルマン・フェーゲラインを演じている。 ラストに、生存者がその後どうなったかというドイツ語が入らない日本語だけのカットがあるが、あれは日本版だけなのだろうか。それによると主人公のトラウドゥル・ユンゲは2002年まで生きたという。そして、驚くことに生前の彼女のインタビュー映像が現れ、侵略戦争に知らず知らず加担してしまったことをこう語る「若いというのは理由にならない。目を見開いていれば気付いたはずだ」と。これは重い。 原題のDER UNTERGANGとはドイツ語で「没落」とか「破滅」「滅亡」という意味。まさに。 公開3日目の平日3回目、渋谷の劇場は35分前に着いたら、すでにロビーに40人くらいの列。2/3は中高年なので、営業をサボってきたサラリーマンとか、リタイアした人とか、自由業の人とかいるんだろうが、1/3は大学生くらい。大学生ならこの時間帯だと講義は終わっているか。選択科目によっては夕方講義がないこともあるだろうし。全員が理髪師ということもないだろうから、まあ当たり前か。それにしても思ったより人が多い。女性は1/4くらいか。 最終的に303席のうちの1F席は9割ほどの入り。とても平日とは思えない。なんだ、これは。まあIMDbでも8.5などというまれにみる高い得点。アメリカでの評価もいいようで、もっと大きな劇場もしくは多数館で公開すれば良かったのに。この劇場では惜しい。カップホルダーのサイズだって中途半端で、ラージ・サイズだと入らず斜めになる。なんだ、これは。 予告では「プライマー」が面白そうだったが、40席などという信じられない(ありえない)劇場のみでの公開。これで1,800円? ボクはビデオの方がまし。 |