日本語字幕:丸ゴシック体下、福永詩乃/シネスコ・サイズ(デジタル、2.35、Arri ALEXA)/ドルビーATMOS
(印UA指定)
監督:サンジャイ・リーラ・バンサーリー 脚本:サンジャイ・リーラ・バンサーリー、 プラカーシュ・カパディア 撮影:スディープ・チャテルジー 出演:ディーピカー・パードゥコーン、 ランヴィール・シン、 シャーヒド・カプール、 アディティ・ラオ・ハイダリ、ほか |
13世紀のアフガニスタン。スルタンのジャラーウッディーン(シャーヒド・カプール)の甥、アラーウッディーン(ランヴィール・シン)は、欲しいものは何でも手に入れる男で、スルタンの娘と結婚し、ついにはスルタンを殺しその座を手に入れると、次々と周辺国に攻め入り、配下に納めていった。そのころ、小国シンガール王国の王女パドマーワティ(ディーピカー・パードゥコーン)と、同じく小国のメーワール王国の王ラタン・シン(シャーヒド・カプール)はひょんなことから恋に落ち、ラタン・シンはパドマーワティを王妃として国に連れ帰る。そんなある日、メーワール王国を追放された僧から王妃が絶世の美女であることを知ったアラーウッディーンは、手に入れるためメーワール王国に攻め入ることにする。 |
インド映画らしく、歌って、踊って、戦って、ラストはパッピー・エンド、かと思ったら、違った。美女にアホな男たちが翻弄される悲劇。最初に字幕で、実話ではなく創作の物語で、他者を中傷したりする意図はないとか、動物はCGを使い傷つけられていない、というような内容の「言い訳」っぽい字幕とナレーションがある。こうしておかないと、インドやその周辺ではいろいろと大変なのだろう。 物語は、ほぼギリシヤ神話のトロイ戦争を描いた「トロイ」(Troy・2004・米/マルタ/英)とか、「PROMISEプロミス」(Wu ji・2005・中/韓/米)とか、そのまま。いわゆる漢書の「一顧傾人城 再顧傾人国」というやつ。一国の王がその色香に迷い、国を滅ぼすほど入れ込んでしまうという美女の物語。楊貴妃的な絶世の美女。その美女が女神になったと。ベースは16世紀に生まれたインドの伝記らしい。 インド映画としては、史上最大級の製作費、33億円がかけられているんだとか。大軍の合戦シーンも確かに凄いが、それより豪華絢爛な王族の衣装と、セットが素晴らしい。まあ見事で美しく、ほれぼれする。歌もダンスも豪華。音はクリアで迫力があり、天井までよく回っていたし、画質もシズル感があって、高解像度で、微妙な色合いも素晴らしかった。 公式サイトによれば、インドでは有名な伝説らしく、製作段階から一部の過激な宗教団体から映画化反対運動まで起きたらしい。それであの字幕か。インド映画歴代10位、2018年3位の興行成績だったとか。 ただ、何と言っても暴力まみれというかほぼバイオレンス。話し合いをするとかいう考えはなく、何でも暴力で解決するという考え方。男だけでなく、女も。欲しいものがあれば、国であろうが人であろうが宝であろうが、力で奪い取る。血がつながっていようが関係ない。まったく恐ろしい。 さらに、日本人的には、どの人も同じに見えて、誰が誰かわからない。ボクは最初アフガニスタンのスルタンの座を強奪した悪党アラーウッディーンと、小国メーワール王国の国王ラタン・シンの見分けが付かなかった。さらにアラーウッディーンの妻の美女と、メーワール王国の妃の美女が区別が付かなかった。眉毛がつながっている方がメーワール王国の妃だと、次第にわかるようになったが(ボク的にはアラーウッディーンの妻の方が美人かなと)。人物の関係もよくわからなかった。メーワール王国の国王には他にも先住の妃がいたのか。一夫多妻? すぐに出世する奴隷のカーフールは同性愛だったのかとか、わからないことだらけ。 脚本のほかにダイアログという、たぶんセリフだけを専門に考える人がいたようで、洒落たセリフが使われている。ただ、そのセリフを日本語に訳すとどうにも芝居がかっていて、ウソくさい感じがしてしまうのは、たぶん字幕のせいではなくドラマ作りのアプローチの仕方の違いだろう。 公開10日目の初回、といってもお昼近くからの上映で、新宿の劇場は全席指定で、2日前にネットで確保。当日は15分前くらいに開場。スクリーンはシネスコ・サイズで開いていて、観客層はほぼ中高年。男女比は4対6くらいで女性の方が多かった。 CM・予告の途中で映画泥棒があり、暗くなってからマナー、そして本編へ。この順番の方がシラケずにいと思うけどなあ。とはいえ、ケータイの注意もキリギリまで使っている人はまったく見ていないし聞いていない。遅れて入ってきて、携帯をライト代わりにしているヤツまでいるのだから、何をかいわんや。自分がどれだけ迷惑になっているか、まったくわかっていないよう。ボクも気をつけなければ。 |