監督・脚本:ニア・ダコスタ 脚本・製作:ジョーダン・ピール、 ウィン・ローゼンフェルド 撮影:ジョン・ガレセリアン 出演:ヤーヤ・アブドゥル=マティーン二世、 テヨナ・パリス、 ヴァネッサ・ウィリアムズ、 トニー・トッド、 ヴァージニア・マドセン(声)、ほか |
1977年、アメリカ、シカゴ。巨大な公営住宅が立ち並ぶ「カブリーニ・グリーン」地区には、たくさんの黒人たちが住んでいた。そしてある日、手にカギ爪をはめた男がキャンディをもって少年に近づき、それが誤解を生んで白人警官たちの暴行を受けて死亡する。以来、その地区には、鏡に向かって5回キャンディマンと唱えると、カギ爪をもった男が現れて体を切り裂かれると言う都市伝説が語り継がれるようになった。そして現在、かつての公営住宅は取り壊され、コンドミニアムが立ち並ぶ高級住宅街となったカブリーニ・グリーンに、アーティストのアンソニー(ヤーヤ・アブドゥル=マティーン二世)と、恋人の画商ブリアンナ(テヨナ・パリス)が越してくる。アンソニーは新作のテーマが見つからず、絵を描けないでいたが、キャンディマンの都市伝説を知り、リサーチを始める。
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人種差別をメインに大きく主張しすぎの感があって、ちっとも伝わってこなかった。しかも現代アートを大幅に取り込んで、語らせているから、興味のないボクなどは引きまくり。退屈でしかない。これでは特定の人にしか受けないと思う。「キャンディマン」(Candyman・1992・米/英)はこんな話じゃなかったと思うけどなあ……。エンド・クレジットの後、最後の最後には人権保護のサイトのアドレスまで出る。 恐さはなく、ただ気持ち悪い。血みどろ。とてもバッド・テイスト。主張だけが強くて伝える工夫がないと、これはもうお金を取って見せるエンターテインメントではなくなってしまって、苦痛な感じ。映画は恐い方向へ行かずに、主張に向かってしまっている。主人公のキャラも、どうにも嫌だ。アーティストたちもなじめない。1992年版の主演のヴァージニア・マドセンが声で出演しているとか、キャンディマンを演じたトニー・トッドが出ているとか、ヴァネッサ・ウィリアムズが出ているとか、どうでもいいわ。 やるなと言われることをやるのはハリウッド映画の定番で、特にホラーはこれがないと始まらないわけだが、あまりにも安直すぎ。もっと工夫して欲しいなあ。女子高生とかやるんだろうなあと思っているとやる。そりゃ、殺人鬼が出てくるでしょ。アメリカじゃ、やらないと臆病のレッテルが貼られるのか。展開が読めてしまうのは不利だと思うんだけど。本当にこの脚本で良かったのだろうか。 銃は、警察官がグロックらしいオートマチックを使用。 公開5日目の初回といっても新宿は昼スタートで、すでに上映回数が少なくなっていた。不入りということか。2日前にネットで確保し、当日は15分前くらいに開場。平日でもお昼くらいになると人が多くなるようで、火曜は美容師の人がオフか。観客層は若い人か高齢者で、最終的には117席に30〜40人くらいの入り。女性は5〜6人。平日としては入っている方か。しかしこの出来では今後増えるとは思えない。 CM・予告からマスク注意の飲食OKが出て半暗になり、非常口案内からランプが消え、予告が続き、マナー、忘れ物注意のあと暗くなって、映写機のマスクが左右に広がり、マナー、まぶしい足元注意、フルの映画泥棒、映倫で、本編へ。 |