New York Diary 2004

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2004年1月20日(火)

 

guest bookに書いた通 り、お陰様で昨日ニューヨークから帰ってきました。今日から少しずつNYでの事を書いてみようと思います。

2004.1.20

飛行機は久々にユナイテッド。昨年10月のNY行きではコンチネンタルだったが、それに比べるとかなり窮屈な機内。機内ラジオでフランク・ザッパ特集(ちょっと凄いよね)を聴き新たな感動。夕方NYに到着。マンハッタンに向かう地下鉄の中で、一発度肝を抜かれた。中年の黒人オヤジが馬の張りぼてを着て、地下鉄の中を踊り歩いている。「ラ・バンバ」を歌いながら。スゲエ。

18:00頃ホテルに到着。ホストのアンと犬のファンがにこやかに(シッポをふりふり)迎えてくれた。


FANG (ファン)♀ 8才

初日の夜。先ずはBlue Noteにチャーリー・ヘイデン&ビル・フリゼールのライヴを聴きに(20:00)。静かな、静かな、ホントに静かな演奏。ちゃんとPAは通 っているのに、人のひそひそ話程度の音量。曲は殆どスタンダードで特に突飛な解釈は無し。全く無理をしない20%程の露出。正直、物足りない感じ。もうちょっとキレたフリゼールを聴きたかった。でも、首筋を撫でられる様な快感はあった。

カフェで少しのんびりした後、BNでの物足りなさを埋めようともういっちょライヴに。Zinc Barでジェフ・ワッツ・グループを(24:00頃)。このスーパー・ドラマーの生演奏を、私は未だ聴いていなかった。どえらく狭いバーに、どえらく狭いステージ。そこにジェフをはじめ、J・カルデラッオ、D・ギルモア等有名プレイヤー達がひしめいている。そしてチャージがなんと$5!申し訳ない位 だ。客席もぎっしり。席数は20程だが多分50人はいただろう。つまり多くは立ち見だ。演奏はと言うと、ひたすらアグレッシヴ。モード・ジャズをビバップの熱気で演奏したってかんじ。ジェフのドラムは殆ど小技を出さず、ハイ・パワーのまま叩き通 した。他のバンドではもっとテクニカルな演奏を聴かせる彼だが、本当はぶっ叩きたいのかも?と思った。J・カルデラッオは安っぽいエレピで、でもパーカッシヴなとてもいい演奏。D・ギルモアのギターには?んー...。少々自信もった私だった。途中からケニー・ギャレット(sax)が飛び込み出演。そこから殆どギャレット・バンドと化したステージ。もう、ブロウ、ブロウ、ハイブロウ! 狭い店内に割れんばかりの歓声が響き続ける。

ほんとに具だくさんの一夜だった。

 

2004年1月21日(水)

 

NY話の続き。

2004.1.21

遅めの起床の後、近所イースト・ビレッジのカフェで朝飯を食って、ユニオン・スクエアにあるでかい本屋(Barnes&Noble)に行く。かみさんはこの本屋に大感激のご様子。確かにいい本屋。カフェが素晴らしくいい感じ。

その後、チェルシーへ。この地域はいまやソーホーに替わって美術(特に現代美術)の中心地になっている。この地域にギヤラリーが200件はあるだろうか。メールでオファーのあったギャラリーを含め地区の半分程を歩いて廻った。前回ここを廻った時は、あまり感心する作家に会えず、「これなら俺でも...」なんて思ったものだったが、今回はレベルが高かった。まあ、様々な表現様式があったのだが、微妙に共通 していたのが「具象と抽象の折衷」だった。花をモチーフに軟体動物の様にも感じさせるThierry Feuzの作品。波の写真からコールタールの模様を想わせるLoise LeBourgeoisの作品など。技術的にも「こりゃ、どうやって描いてんのかな?」と思わずにはいられない作家も幾つかあり、とても勉強になった。さすがチェルシー。お目が高い。

晩飯はブルーノートの目の前のMacで軽く。ここには毎回行ってしまう。BGMにビリー・ジョエルの「マイ・ライフ」やブルーース・スプリングスティーンの「ハングリー・ハート」がかかると、客の何人かで静かな合唱が始まった。私もそのひとりに加わる。70年代後半。そう、俺達の音楽、だ。歌っている奴ら、それぞれの脳裏に懐かしい想い出が蘇った。

22:00近く55Barに着。Mike Sternに再会するため。いつもそうだがこの日も店内は超満員。ここで彼の演奏を聴くのはこれで4回目。素晴らしい演奏だった。あの滑らかさを極めたフィンガリングはもちろん、何といってもサウンドが極上だ。PAナシなのに宙を舞うようなあのサウンド。心がサラサラしてくる。数々あるお得意フレーズも惜しみなく聴かせてくれたが、新しいフレーズも少しずつ加えられていた。そう。彼は常に前進し続けているのだ! 途中休憩で彼と少し話した。去る10月、彼の最新アルバム「These Times」を彼に貸してあげたりした事もあって、とても気さくに接してくれた。そして3月に東京で再会する事を約束した。ともあれ、真に幸福な時間とはこういうもの。55Barに来るたびに、ニューヨーカーになりたいと思ってしまう私でした。


55 Barの前にて 

 

2004年1月22日(木)

 

3日空きましたが、NY旅行の続きを。

2004.1.22 

今回ほど時差ボケの強烈な旅は無かった。寒さのせいだろうか?この日もかなり遅い起床。昼飯をイースト・ビレッジ内にあるイタ・トマで(カツカレー=いまいちだった)。

ホイットニー美術館へ。ここへは確か1990年に行っている。マーク・ロスコ、ジャスパ=・ジョーンズ,など米国を代表する現代美術が多く所蔵されているはずで、それらを再び観ようと思い。しかしそれはかなわなかった。殆どのフロアーで企画展をやっていたのである。多分、所蔵作品の多くが貸し出されているのだろう。企画展が当たりならば文句なしだが、そう世の中甘い訳じゃなし。それより時差ボケが極限に達してきた。立っているのがやっとな位 眠い。もうこれじゃ美術鑑賞どころではない。宿に帰って昼ねする事に。

夜のイベントは昨日に引き続き55Barへ。ウエイン・クランツのギターを聴くため。このギタリスト、日本では未だそれ程名が通 っていないが、スティーリー・ダンの録音に参加するなど米国では中堅らしい。まあ、マイクほどのビッグ・ネームじゃないので、客入りはそれ程でもないのではと予想していたがさにあらず、昨日のマイクを上回る集客。えらい人気だ。さぞかしいい演奏が聴けるだろうと期待したが...。正直に書かせてもらう。音楽のことなので。テクニックはまあ良かった。コード・ワークが特にいい。スタヂオ・プレイヤーならではってとこ。しかし。先ずサウンドがちょっとチープ。エフェクターの使い方が素人臭い。曲も良くない。記憶に残らない。そしてアレンジメントにも?。ギター・トリオで、私が「こうなったらまずい」と考えている事をやっているのが彼だった。コード・ワークに懲りすぎて旋律が疎かになってしまっている。バッキングだけを聴かされている感じ。生意気な様だがこういう演奏を聴くと自信を持ってしまう。これなら俺にも出来る、と。しかし、あの人気はなんなんだろうね?まあ、音楽は好き嫌いだからね(善し悪しじゃなく)。


Wayne Krantz Trio at 55 Bar

ライヴ後、大好きなカフェRafaellaでコーヒーを飲んで宿に戻った。 

 

2004年1月23日(金)

 

NY続き。

2004.1.23

この日はちょっと早起き。宿内の誰よりも早く起きた(といっても8:00頃。ここの人達はみんな宵っ張りだった)。

先ずはチェルシーの街に出かける。私とかみさんが別 行動をとって、めいめい買い物をしようと。かみさんは先日行った本屋Barnes&Nobleへ、私はお気に入りのレコード屋Academy Record & CDへ。チェルシー18丁目にあるディスク屋でクラシック、ジャズの在庫がNYで一番多いらしい(といっても吉祥寺のディスクユニオンより少ないが)。私はNYを訪れる度に殆ど寄っている。今回の買い物はモーツアルト「ホルン協奏曲集」一枚のみ。もっと物色したかったが時間切れで待ち合わせの本屋へ。かみさんは結局1冊も買わなかったよう。日本で(Amazonで)買った方が安いとの事。

本当なら次にミッドタウンのギャラリーを廻ろうと考えていたのだが、私もかみさんも眠さの極限に達していて、宿に帰って一眠りすることに。その一眠りがふた眠り、三眠りとなってしまった。ホント、今回の時差ボケは辛かった!

で夜のライヴ。この夜はパット・マルティーノを聴きにミッドタウンにあるイリジウムへ。ここへは前回10月にも来た(R・ボナを聴きに)。結構高級感の漂うクラブでチャージも少々高かった($35)。パット・マルティーノという人、ギター弾きにとってはどうしても無視できない存在。ジャズギター・テクニックの最高峰のひとつで、彼の技術を参考にしているギター弾きは五万といるはずだ。そしてこの日の演奏も、ギタリズムとしては最高のものだった。音符を速く弾くのに、スウィープやスピード・ピッキング等の特殊奏法を使えばもちろん彼よりも断然速く弾けるが、あれだけの強いピッキング、あれだけ均一な音量 での早弾き。ストイックに、ひたすらストイックに。ギターというものに、これだけ自らを消耗させている人は世界に何人いるだろうか?と思った。また感心したのがミスを誤魔化すのがとても上手い事。空ピックになったり、ミュートしてしまったりした瞬間を、さも意図してやっているかのように訂正出来る。まるで、元巨人軍の篠塚が空振りしそうな瞬間にバットを放して空振りを免れた、あの技を観ているよう。こういう演奏を目の当たりにすると、今度は「まだまだ練習せにゃな」と焦ってしまう。共演のドラマー、レニー・ホワイトにも強く惹かれた。特にシンバル・ワーク。繊細かつ強靱。饒舌でなくてももの凄い存在感。センスがいいとはこの事だな、と。ちょっと残念だったのが、ピアノがゴンサロ・ルバルカバじゃなかったこと。でも代役ピアニストも遜色ない演奏だった。ともあれ、やっとPat Martinoの生を聴けた。ギター弾きの洗礼のひとつが終わった。隣席に座ったテネシーから来た二人の黒人青年との会話もとても楽しかった(ピアニストとサックス吹きで、初めてNYに来たとの事)。

ライヴの後イースト・ビレッジに戻り、私らのお気に入りのカフェOrlinで晩飯。超満員だったが上手く座れて、フミュとファラフェルを食う。旨し。そしてこの雰囲気、黒の、白の、黄色の顔、顔、顔...。耳をくすぐるのは英語は勿論、フランス語、スペイン語、日本語...。自由ってこういうのだなあ、としみじみ感じる。

宿に帰ると同居(そう、この表現が一番相応しい)の二人が先に帰っていた。キュレーターのピエールと、アーティストのゲイリー。宿に着いた初日にアンから彼らを紹介されたが、お互いのスケジュールもあってちゃんと話はしてなかった。彼ら何処やらで展示をしているのかも?と思い聞いてみるとソーホーでやっているとの事。「じゃあ、明日伺うよ」と約束。ついでに私のサイトで作品を観て貰った。「作品が小さいのがいいね」とピエール。彼ら今月いっぱいその「The Curators」という企画をやってロンドンに戻るといっていた。 


宿(East Village Bed and Coffee) のリビングでサイトのチェック中

 

2004年1月24〜26日(土〜月)

 

NY旅行記最終章。

2004.1.24

丸一日使える最後の日。いままでの時差ボケで昼寝が多かった分を、取り戻すべく足を使いまくる。

先ず昨日行けなかったミッドタウンのギャラリー街へ。WelcomeのオファーがあったJames Goodmanのギャラリーのあるビルに入る。おやや?どうしょうもない程高級感いっぱいのビル。で、その画廊に入ってみる。ミロの、マチスの、ゴーギャンの、ヘンリー・ムーアーのオリジナルが整然と並んでいる。場違いとはこの事である。何故私にオファーが来たのか??ビル内の他のギャラリーも同様だった。これじゃ目的外。直ちにチェルシーに行くと決める。

が、その前にちと早めの昼飯を49丁目にある超有名(といってもチープ)日本料理屋=サッポロで。ここへもどうしても行ってしまうなあ。そう激ウマな訳じゃないんだけどやはり安心するんだよね。私はカツ丼、かみさんはタンメン。

その後チェルシーへ。21日に廻っていなかった所を見物。今回もいい作家、いい作品に多く会えた。特にJames Lecce。マーブリングの様な模様が有機的で美しかった。またSeptember11に影響を受けたArtemis Schwebelの作品からは、強い痛み、悲鳴を聞いた。他まだまだ良い作品・作家があったが書ききれず。真にチェルシーは楽しい。1キロ四方の区画に200以上ものギャラリーがひしめいている。なかには美術館?といってもおかしくない位 の規模を持つ所も幾つかある。

続いてもう一つのギャラリー街、ソーホーへ。昨夜宿で約束した通 り、ピエールとゲイリーのいるギャラリー?へ。そこはソーホーと言うより殆どチャイナタウンのど真ん中だった。急な階段を6階まで登ってドアを開けると...。ありゃ?結構広い室内には机におかれたPCがひとつと、花瓶のようなものがひとつ飾られているだけで他はなにもない。暫くすると二人が現れた。話を聞くと展示品は彼ら自身で、ここでキュレーターや作家などいろんな人に会って、ロンドンに帰ってからどんな作家を採用するか熟考するのだそうだ。非営利団体として活動しているらしい。なんだか涙ぐましい。頑張れよ、ピエール、ゲイリー。

ソーホーを少しぶらついた後、ノリータ地区へ。10月にちょいと入ってみたジャパニーズ喫茶=Cake'O ケイコに入る。あ、いたいた。そう、昨年店に行った次の日に地下鉄でバッタリ会った女の子。この店の店員は日本人が多かったのだが彼女は違う様だった。なんか水森亜土のマンガの世界から飛び出てきたような娘。彼女も俺のことを覚えていたらしく「地下鉄で会ったね」と。香港から来ているとのこと。なんかケナゲなんだんあ。仕事の合間に「鉄道屋」のテーマをピアノで弾いてた(下手くそ)。とても小さな喫茶でふんわりした気分になった。

ちよととだけ宿に帰って休憩して最後のライヴ鑑賞、TONICへ。この店はジョン・ゾーン、アート・リンゼイ、ジョン・ルーリーなどNYのフリー系の巣窟となっている所。この日もご多分に漏れずヘンリー・カイザー、ジム・オルークらのギグ。で、素晴らしいギグだった。フリーキーで、明るくて、自由で、新味があって、閃きがあった。セーマティックな演奏であっても、気まぐれや偶然を楽しむ事を忘れない。皆が一斉に弾いていても、ちゃんと他の音を聴いているからアンバランスにならない。まったく壮快だった。ヘンリー・カイザーのギターも面 白かった。10秒くらいディレイさせてたソロ・プレイ。現在の演奏が未来に具体化する、といった感じ。彼の曲もいい。テーマの部分が短くて曲の自由度がとても高い。3本のギターを使い実に様々なサウンドを響かせていた。ただピッキングがちょっと荒いな、とも。客入りも多く立ち見だったが、疲れも吹っ飛ぶような爽やかな終演だった。J・オルークのちょっと不気味な表情も印象的だった。

帰り昨日行ったカフェOrlinでまた晩飯。今晩は私はパスタ、かみさんはサーモン・サンド。旨かった。「これでまたNYともおさらばかあ」と思いつつ。

宿に帰るとゲイリーとピエールが先に戻っていた。TVでコメディーを観ているらしく二人でゲラゲラ笑っている。明日朝の出発が早いので、ここでみんなに別 れの挨拶。アン、ファン、ピエール、ゲイリー、アンの彼氏、また会う日まで。

 

2004.1.25〜26

飛行機の関係で早起き。7:00過ぎには宿を出なければならない。こんな時刻当然のようにみんな眠っている。いや犬のファンだけはちょこっと起きてきてサヨナラができた。部屋に鍵を置いてひっそりと宿を出た。気温は-15℃。この強烈な寒さともしばしお別 れ。地下鉄でJFKへ。あとは特になんの話もなく無事帰国した。

 

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