New York 日記はこちら!

2007年8月19日(日)

 

今日、母方の祖母ちゃんが亡くなった。 享年89才。
大人しい、とても小さな人だった。 優しい人だった。

 

2007年7月20日(土)

 

一昨夜はヴィオロンでライヴ。神垣守さんとのデュオ。

いい夜だったな。 しっぽりと湿った空気の中、神垣さんの曲、私の曲、坂本龍一教授の曲、 即興曲、超有名曲達を、柔らかい音風をお互い感じながら演奏出来た。

私はつい3日前に出来たばかりの曲を演奏。いやまだ出来ていないかも? 出来たかそうでないかは、私が決めるものじゃない、時間が決めるのだ。 でも、先ず演奏して良かった。まだ曲の5%程の力しか出せてないが。

神垣さんのソロ演奏。今迄で最高だった。厳しさや重さが存在していた。なにより安定感が強固だった。 大曲と云える彼の曲「2つの印象」も、巨匠然とした深みが感じられた。

二人の共演では、即興が大成功だった。これは挑戦だった。新たな境地。 それに向けての。ギター・ストロークとピアノ・アルペジオ。そこには 曲に繋がる多くの閃きが手に取れた。ふたりにとって大きな収穫だった。

来てくれたお客さんは10数人。ヴィオロンの空間に丁度いい感じ。程良い緊張感と、暖かい視線に包まれて、幸せな音楽時間だった。

 

2007年7月16日(月)

 

午前9時12分頃「ゲゲゲの鬼太郎」のTVにこころ惹かれながらも、 ザーザー雨の中、クラシカル・ギターをぶら下げて阿佐ヶ谷迄出かけた。 朝10時からのリハ。神垣守さんと。脳が3分の1くらい眠っている中。 年季の入ったテーブルや椅子。ずらっと並んだ、使用済みの真空管達。 有名な曲、無名の(私の)曲、有名人の曲、曲になりかけの曲、色々と。 正面にはヴィオロンの入り口扉。ガラス越しに、雨粒がななめに見える。 神垣さんの弾くベートーベン「悲愴ソナタ」が、皮膚から浸透していく。 ピアノとギター。最も難しいと云われる編成。しかし確かにあった。必ず融合するであろうチャンネルが。 後はチューニングの問題。呼吸ってものが肝心か?そんな気がしてきた。 手応えあり。

12時20分。マスターが入れてくれたミルク・ティーと「牧神の午後への前奏曲」。 雨粒、音楽、ピアノ、ギター、湿り気、ホコリ。全てが愛おしく感じた。

 

2007年7月9日(月)

 

七夕の夜。「弦詩人達の企み2」。退院後復帰ライヴ。はたして復帰出来るのだろうか?という疑念があった。難なく復帰できた。かえって病前よりもいい位 だった。俺にとって記念すべき日になった。

出演者はKOWさん(vo,g)、サボテンさん(vo,g)、サボテンさんの妖精=やよいさん(vo,他)、イトウマキさん(ノコギリ,他)、雨宮知詩さん(g,vo)、そして私というラインナップ。それぞれが持ち前の個性を遺憾なく発揮できた、素晴らしい演奏を繰り広げていた。

サボテンさんの曲創りに感心。彼女の声にも素朴で惹かれた。やよいさんもまさに妖精、サボテンさんにぴったりと寄り添っていた。イトウマキさんのノコギリ技術に驚かされた。雨宮さんのギター音色にも好感を持った。外連が無く、土の香りがして。

そして私とKOWさんのギグ。自分でも驚く程自然に、高い完成度で演奏できた。2つの即興曲でさえ、あらかじめ出来上がったいた曲の様に演奏できた。KOWさんの歌でも、デモーニッシュな表現ができた。そして私の歌曲「見えないもの、見つめて」では止めようかと思っていたリハ具合だったのに、とても楽に歌うことが出来た。総じて多くの場面 で「前進」があったと確信した。

カンナの店内は予約を上回るお客さん達でギッシギシ。聴きに来て頂いた皆さまには心から御礼申し上げます。私が復帰できたのも、多くのみなさんの励ましがあったからこそと真に感じています。これからも私は音楽家であり、美術家であり続けます。

ヨロシク!

 

2007年6月14日(木)

 

24日間の入院生活から去る月曜日、ようやく帰って来られた。6月19日に緊急入院。結局、脳梗塞だった。CTでは見つからない程小さな脳梗塞が2箇所。MRIでやっと発見されたのだった。もの凄い数の検査を受けた。中には同意書が必要な程危険を孕んだ検査も。11日間、点滴に繋がりっぱなしだった。なかなか退屈な日々だったが、興味深い体験だった。この体験が、この先の人生に何らかの好影響を与えてくれればいいな、と思っている。

お見舞いや励ましの言葉を頂いた多くの方々、感謝しています。そして、毎日一日も欠かさず見舞いに来てくれたうちのかみさん、ありがとう。

 

2007年5月16日(水)

 

月曜日の右手の麻痺は脳梗塞じゃなかろうか?と多くの人から云われた事もあり、また友人の薦めもあって近くの○林大学病院に診て貰った。CT検査、レントゲン検査等やって貰ったが、特に異常なしとの事。

じゃあ、あれはなんだったのだろうか?

 

2007年5月14日(月)

 

今日夕方、遺跡で機械をしまおうとしていたら、急に右上腕が痺れだして、ついには麻痺してしまった。こりゃまいったな、と思っていたら、今度は俺の意思とは関係なく勝手に右手が動き出した。動いたというよりも、のたうち回ったといった方が的確だろう。とても人間の動きとは思えない、まるでエイリアンの誕生の様な動き。それの終焉と共に右手は元に戻ってくれた。この時間約1分程だっただろうか。

なんだったんだろう?

 

2007年5月11日(金)

 

これまたミクシィで知り合ったmaesiroさんのライヴを聴きに下北沢まで。SSWでありバイオリン奏者の彼女、演奏を聴いていると、何処かで聴いたことのあるようなサウンド、唄い廻し。そうだ、友人のmueだ。どの曲とっても、mueの面 影が感じられる。演奏後本人に尋ねたら、やはりそうだった。mueの友人だった。「彼女からかなり影響を受けています」との事。共演も屡々するそうだ。成る程ね。爽やかな風が、疲れた心の中を通 過していった、そんな一夜だった。

 

2007年5月5日(土)

 

ノラ・ジョーンズの3枚目のアルバム「Not too late」を遅ればせながら買って聴いた。2枚目があまり芳しくない出来だったので、今回もどうかな?と思って聴いたが。んー、前回にも増してイマイチ。全体的にユルすぎて、平凡すぎて、曲も心に引っ掛かるもの殆ど無し。ただあの声だけは変わらず素晴らしかった。彼女、作曲の才は無いのかな?ただ、こういうアルバムは、スルメのように後になってから味が出てくるかも。

 

2007年5月4日(金)

 

連休のなか日、国分寺の殿ヶ谷戸庭園にかみさんと二人出かけた。以前長いこと国分寺に通 っていたが、こんなに美しい庭園があったとは気づかなかった。ハケの段差を活かした森や池には、苔むした回遊式日本庭園の趣が充分にあった。簡易的な茶会にも参加。座った席からか、私は正客という事になってしまった。藤棚も丁度見ごろで美しかった。

その後、お鷹の道やわき水、いつかは行こうとずーっと思っていたCafe Slowにも念願かなって行くことが出来た。とてもいい空間のCafeだった。ここで毎金曜に「暗闇カフェ」という企画ライヴがある。参加してみたいな。

多摩の風に包まれた、いい一日だった。

 

2007年5月3日(木)

 

カンナで知り合った俳優・城戸光晴さん主催の劇団・だるま企画の芝居「いやいやながら、医者にされ」を観に行った。ベテラン揃いのキャスト。長く早いセリフでもスラスラこなしてしまう彼らの演技力は、大変なものだと感心した。「俺には全くできねえな」と。言葉、身体、舞台、衣装、音楽による総合芸術。千秋楽は強烈な充実感が味わえるのだろうな。

 

2007年4月29日(日)

 

ミクシィで知り合った友人・まいちゃんがご贔屓のソウルバンド=Teacher&稲荷町食堂Blues Bandを聴きに、荻窪まで出かけた。超満員の荻窪ルースター・ノースサイド。久々に心地よいミディアム・アフター・ビートに揺らされて、良い時間だった。バンドのアンサンブルもかなりしっかりしていて、勉強になる要素も多かった。私も久々に黒い音楽もやりたいな、とそんな気にさせてくれるのだった。

 

2007年4月22日(日)

 

最近身内で良からぬ問題が起こって、やや神経的にまいっている感じ。まあ、昨日の段階でかなり事は好転したようなので、一安心ではあるのだが。ここんところ、無意識のうちに精神的に緊張感を抜けないでいる自分がある。

市議会議員選挙に行ってきた。投票した人は落選。

夜、中学の仲間が経営している0422カフェにメシを食いに行った。その友人・義明君ともう一人の中学仲間・三沢君と会うことが出来た。スペシャル企画・食べ放題だった故に、当然のように食い過ぎてしまった。義明君は「うちでライヴをやってくれないか?」との事。嬉しい誘いだな。

 

2007年4月15日(日)

 

義父の四十九日法要に行って来た。埼玉は行田市にあるかなり由緒あるお寺。今回は親族だけで慎ましく霊を送った。お経の合間にウグイスの声が聞こえ、其処にいるだけで、この世とあの世を行き来しているような幻惑が感じられた。

帰りに其処からほど近い、さきたま古墳群に足を伸ばした。私が考古学関連者だからという訳ではないが、とても感動的だった。こんな素晴らしい古墳群が、東京からそう遠くないこんな所にあったとは。暫くいにしえの時空を肌で感じた。

 

2007年4月8日(日)

 

国分寺の名曲喫茶「でんえん」にて。永いこと貸していた20号の作品を友人から返却して貰った。私にとってかなり思い入れのある作品だったので、帰ってきて一安心って感じだ。その友人は、初めて大型の作品を購入してくれた人だった。私の絵からエネルギーを頂きたいと、少々高額にもかかわらず即金で購入してくれた。

思えば私の作品のコレクターさん、何人位になるのだろうか?ちゃんと記録してないから(それはマズいかも知れないな)はっきり解らないが、多分30人は超えているのだろう。ただ好きなだけで始めた絵画。それが現在のような状況になったって事は、まさに夢のようだ。私を支えてくれている皆さんに、あたらめて感謝の意を述べたい。

ありがとう!

 

2007年4月7日(土)

 

一昨夜は、阿佐ヶ谷ヴィオロンにて三浦陽子さんとのデュオ・ライヴ。 聴きに来てくれた、友人のしゃあみんがこんなひと言をくれた。 「ヴィオロンの空間に、色彩 を施していくかのような演奏でした」と。 演奏している私も確かにそんな心持ちになった。メロディーにより、 造形・構築していくよりも、響きによって色彩を放つ様な演奏だった。 優しく揺らぐ三浦さんのピアノは、春の木漏れ日のように暖かかった。 2つの完全即興演奏、3つの自作曲を演奏。ハプニングや、予想外の 展開もあったり、緩やかながらも、緊張感の途切れないギグになった。 完全即興演奏。それは様々なヒント、切っ掛け、課題を与えてくれる。 今回も新たな作曲への手懸かりができたし、新たなサウンドも創れた。 完全即興演奏があるからこそ進歩があると云っても過言ではない。1曲だけリコちゃんに歌で参加して貰った。柔らかくも刺激的な一夜だった。


続いていたライヴもちょっと休閑。これから暫くは聴けてなかった 音楽を聴いたり、たっぷり貯まった未読の本をこなしたり、潰そうと思っている絵をチョイスしたり、身体を鍛えたり、新たなギター練習をしたり、観ていないビデオを観たり、友人に会ったり、しようかな。


んな訳で、今日中学時代の同級生・三沢君と、これまた中学 の野球部仲間・竹内君が経営するカフェ0422にて2時間たっぷり話した。三沢も、私と同じ三鷹を離れない男であるが、 私なんかよりもずーっと三鷹への愛情が強い奴だってしみじみ感じた。 彼とこんなに長く話したのは中学時代以来だけど、懐かしい名前が 次々出てくる彼の話は、郷愁の暴風雨の様だった。人間は未来に向き ながら、過去を噛み締め、味わいながら、生きていくものなんだなあ。竹内君は、どうやら味の素スタジアムに行ったらしく会えず終い。


ライヴができて、絵が描けて、友人がいて、母なる街がある。やはりこの世が天国だ。 井の頭の森では、広葉樹達の若葉がどんどん出てきている。黄緑色に輝かし萌える、短くも、最も美しい新緑の季節がやってきた。

 

2007年4月2日(月)

 

今日43才になった。バカボンのパパの2コ上になった。

 

去る土曜日、NYから一時帰国している友人下北沢で 会った。彼女には昨年11月NYで会っているが、なんとも懐かしい 気分になった。かみさんを含めて3人で、王将の餃子をつつきながら、 また、民家を改造した雰囲気の素晴らしいmois cafeのケーキを3人 でつつきながら、色んな話をしていたらあっという間にケツカッチン。 彼女、NYはハーレムで恵まれない家庭に育った子供達を対象とする 学校に勤めている。とても不安定な年頃、環境にある子供達と接する 仕事はかなりの精神的、肉体的重労働だと思う。でも、それを好きで やっているんだなと、手に取るように解る。偉いひとだなって、感心。もっとながーく話したかったなあ。

母親から誕生日祝いのメールが届いた。こんな事は初めての事である。 「おまえが生まれた日は雪がちらつく程寒い日だった」とか何とか。 なんかくすぐってえ。照れくさくて、ありがとうなんて、云えねえぜ 。

 

2007年3月29日(木)

 

昼間は井の頭公園の直ぐ近くで発掘。GLから3mの超深堀り。 ここまで深いと悠久のロマンも減った暮れもない。ドカチン作業だ。 昼休み、井の頭公園にて弁当食って、朝日新聞読んで、ごろんとした。 弁当を食っている最中、3人の小さな子達が目の前をチョロチョロと。 どうやら3姉弟。姉6歳、弟4歳半、チビ弟2歳半、と云った子供達。 姉はまだまだ小さいのに、チビちゃんをオンブして階段を降りるなどしてとても面 倒見が良く感心。その子らの会話が、耳に届いて来た。 真ん中の弟は、割と長い木の枝を振り回し、なんだか意気揚々である。

姉「なんで、そんな木を振り回すの!やめなさい。」
弟「あそこで鳴いているカラスをやっつけるんだ!」
姉「ダメよ!カラスも人間と一緒に生きてるのよ!」

俺、姉の最後の言葉を聞いた途端、両眼から涙がこぼれてしまった。 真に教えられるとは、こう云う事だなってしみじみ思った。小さなお姉ちゃん、ありがとう。

 

2007年3月26日(月)

 

昨夜、ギタリスト・吉久さんのギグを聴きに行った後、カンナで一杯やった。 ここでの個展の最終日。知った顔、知らない顔。心を徐々に解きつつ、 壁に飾られた私の絵について色々語ったり、音楽について語ったり。 「俺はつくづく幸せ者だ」って思いながら、エズラブルックスの香りを楽しんだ。

ひとところで音楽も美術も表現できる場所って、そうあるもんじゃないし、 それを快く提供してくれる人がいるのって、とても有り難い事だよなあ。 その上「次もやってくれますよね」とか「次のライヴの時に又展示もやって欲しいな」なんて云ってくれる。感謝のしようがない程のお言葉。

明けて昼間、オンボロ・カローラを飛ばして、カンナ迄搬出に行った。 搬出が終わってそろそろ帰ろうかって頃、KOWさんに会う事ができた。 店主・多民さんを交えて、早速次なる「弦詩人達の企み」の日程決め。 今度は7月7日七夕にやる事に決定!もう今から楽しみ。

兎にも角にもカンナって店、素晴らしい。演劇、音楽、美術が柔軟に折り合って、関係し合って、お互いを優しく刺激し合ってるのである。 もちろん、芸術に関係なくとも、ただひたすら酒を飲み、旨い料理を つつくだけでも気楽に楽しめる。ほんと滅多にない店だなって思う。 まだカンナに足を運んだ事のない方々、是非一度遊びに行って下さい!
http://kan-na.com/

 

2007年3月21日(水)

 

昨夜は「春分・新月・弦詩人たちの企み」。KOWさんとの初デュオ・ライヴだった。 楽天的な私故に、ギグの後は殆どの場合「やって良かった」と感じる。 でも今回は色んな「良かった」があった。演奏そのものも良かったし、 お客さんがいっぱいだったのも良かったし、勉強になって良かったし、 新たな発見が多かったのも良かったし、未来に向かえるのも良かった。

歌が主体なギグだったのだが、結果的にかなり挑戦的、実験的だった。 だから緻密な完成度の高い演奏とは云えないのかも知れない。でも今回 の私達はそこを目指すのではなかった。歌を創り、歌い、ギターを弾く共通 点はあっても、かなり違う音楽性を持ったふたりのコラボ。 そのぶつかり合いによる「歪み」そこから生じる新しい音を、口にはしなくとも、お互いに求めていた気がするし、実際そちらに向かった。 そして結果的に創造の喜びに満ちた音楽=演奏に達することが出来た。

KOWさんの歌。もう既に私の人生の一部になってる。彼が創った歌 は日常で時折想い出され、口ずさんでいる。ユーミンのそれと同じく。 記憶の痕跡として強く存在し、それが様々な場所とリンクしている。 なぜそこまで私の人生に入り込めるかって云うと、つまりは彼の創る 曲が素晴らしいのだ。旋律が、ハーモニーが、そして歌が素晴らしい。 そして昨夜の彼の演奏も、その「歌力」を存分現していた様に感じた。 彼の歌を聴いていると、単純に「生きるってことは真に素晴らしいな」 とつくづく思えてくる。人間愛に満ちている彼の歌、いいなあホント!

彼との共演は7曲。彼の曲が4曲、私の曲が3曲。ナイロン弦ギター、 スチール弦ギター。それらが融合すると、こんなにも気持ち良いのかって改めて感じた。ギターの音達が皮膚にじんわりと染み込んできた。 私の歌2曲では、拙い私の歌を多大なるサポートで包み込んでくれた。 また歌だけでなく、ギター弾きとしての可能性をインストルメンタル2曲で追求する事も出来た。まさに「弦詩人」になった心持ちだった。

カンナはフルハウスだった。名前を挙げきれない程沢山のお客さん達。 心から感謝しています。休業日だったのに私達の為に快く店を開いてくれたカンナの多民さんにも、多謝!そして、歌の心を教えてくれた KOWさんに多謝!「弦詩人の企み」は今後も続ける事になった!

 

2007年3月12日(月)

 

日付変わって、昨日から中野bar&kitchen KANNAでの「野村雅美展12」が始まった。 搬入・展示を終えてとても満足。今回も予想以上にはまっていた。 今回はいつものアクリル絵画の他、マジックで描いたドローイングを24点展示した。自分でも「バカだなあ」と思うヤンチャな絵達である。 でも、展示しながら「ここに俺の絵画の近未来がある」と確信出来た。展示期間は24日土曜日まで。

そしてそのカンナで、来週20日火曜日にSSWのKOWさんとライヴ! 彼とは永い友人なのだが共演するのは初めて。ベルベットの様な声、 心に染み込んでくる旋律、ブラジルの風を運ぶギター。彼の優しくも鋭い音楽と共演できるのは、俺の人生のひとつの「花」と云えるだろう。 このライヴについて、KOWさんが素晴らしいコピーを書いてくれた。   

昼と夜が等しく1日を分かちあう 数時間前、   
ふたりの弦詩人がやってくる。
その夜は新月だ。 
街の灯りがすべて消えたら、全くの闇夜。
鼻腔に響く春の匂い。   
原始のチカラが胞子を飛ばし始める。   
待っていた、この詩、この瞬間。   
弦が弾かれ、言霊は浮遊し、春先のカンナが、   
誰も見たことのない花を咲かせる。

声、詩、歌、そしてギターによる「完全生」の音楽。KOWさんの歌も勿論、私の自作の歌も何曲か演奏。きっと、他にはない音楽・歌になるはず。

 

2007年3月7日(水)

 

今夜は阿佐ヶ谷の名曲喫茶ヴィオロンにて、神垣守さんとのデュオ・ライヴ。 クラシック畑の神垣さん、どれかと云えばジャズ畑の私。今夜の何人かのお客さんも云った様に、彼とはとても自然に無理なく融合できる。 その理由がやはりミニマリズムだった。

ひたすらミニマルだった私のアルペジオの海の中で、構築された彼の旋律もミニマルだった。少しだけ残響のあるヴィオロンの空間で、繰り返されるメロディーに埋没していく時間は至福だった。演奏の喜びに充ち満ちた音時空間だった。

「ミニマル」を演奏する事。それは修行に似ている。限りなく無我に近づいていかなければならない。修行と云えば「禅」。一昨日の義父の葬儀は曹洞宗の僧侶によった。演奏中、義父の顔を想い出したり、 般若心経を想い出したり、線香の香りを想い出したり、そうしていく うちに「私」と云うものが、段々と消えていく感覚に陥ったのだった。 あれは追悼の念だったのだろうか?自ら追悼の演奏を目指さなくとも。

忌中のおり、あまり告知出来なかったのに、多くの方々に来て頂いた。 中学の同級生・三沢君とは約27年振りの再開。変わってなかったよ! 高校の同級生・横川君にも久しぶりに再開。音楽仲間の柳静枝さんにも久々に会えた。 ミラさんには、お初にお目にかかれたし。来て頂いた皆さんお礼申し上げます! マスターにも好評を頂き7月18日、神垣さんと再共演となりました。

 

2007年3月1日(月)

 

今日、かみさんの親父さんが亡くなった。享年78歳。

 

2007年2月26日(月)

 

昨日は「オープンギャラリーナイト2007」の搬入。 ミクシィで知り合った青木典子さんのお誘いで参加したグループ展。出展枚数は何枚でも可能で、展示は早い者勝ちと云う、かなりおもしろい出展形式だ。 早い者勝ちだから早く行かないとと思ったが、入廊できたのは結局開場1時間45分後。入ると殆どの壁が作品で埋められていた。 ここなら空いてるとオーナーさんに云われた壁が、おー来ました! 私の作品に打って付けの処。真っ赤な壁、バー・ラウンジで。「必然」を感じたね。

典子さんは、早く来てすっかり展示してしまった様子。ビールを飲んでまったりしていた。私も展示を終えて、バーで色んな人と語り合った。 殆ど、初めての人達。幾つかの島に別れて「ねるとん」みたいな様子。 みんな、個性的で「創る」事に一生懸命で、好感が持てる人達ばかり。 そして典子さん、初めて会ったって気がしなかったな。旧友との再会みたいな感。彼女との会話、なんてこんなに自然なんだろうと思った。いい出会い。

展示は3月3日土曜日までです。是非観に来て下さい!

 

2007年2月12日(月)

 

昨夜は高円寺グッドマンにて晶・野村雅美 Duo Live。 いままで彼女とは13回のギグを重ねて来たが、私のギターはエレキ であることが常だった。で、今回は初めてアコースティックでの共演。 聴いていた人達はどう感じたかは解らない(どうだったか聴きたいな) けれど私達二人には自らが陶酔できる確かな時間があった。

それは 前半の丁度真ん中程の時間。晶がピアノの内部奏法(ピアノ弦を直接 手で爪弾く奏法)を奏でている時間帯。そこには絶対無音に近い様な 「間」が確かにあった。あるか無いかの境界を彷徨うかのような音達。 それよりも圧倒的な無音。聴き手達が身動きできない事が熟知できた。 こんな強固な「静」を共に演奏できるのは、akira 以外他に知らない。 また逆に私のラウドなストロークの時間では、パルスに付いてきたり、 時空間を切り裂くようなリフを叩き込んだり、まるで無関係な音列を 流したり。先程の「静」とは真逆な自由奔放なプレイを見せてくれた。

ゲストのEMYUさんが入ってのトリオでは、一転してバルトーク風と云えそうな現代音楽っぽさが表出。ピッコロ、ピアノ、ギターが常に一定 の距離を保ちながらもコール・アンド・レスポンスしたり、各々別方向 に向かったり。「これ、曲として成立させてもいいんじゃない?」と思えるほど完成度の高いギグが出来て、私は心地よい疲労感に浸れた。

今回も沢山の人達に来て頂けた事も嬉しかった。というよりグッドマンはとても狭い空間なので、お客さんに窮屈な思いをさせて申し訳ない気持ちが、 正直云って強くある。今回も立ち見の方がいたし、座って聴いていても決してゆったりできるものではない。なんとかならないものかなあ。

帰りakira、EMYUさんと3人で、直ぐ近くの焼き鳥大将でちょっくら打ち上げ。 私の拙い同時通訳を介してしんみりと楽しい小一時間を過ごした。

 

2007年1月28日(日)

 

やって来ましたドッペルナンチャラvol.6。柏モナイゾにて。アートと音楽のコラボレーション。素晴らしかった。何がって、これを運営するモナイゾのメンバーの心意気が。イベントを創り、楽しみ、そして街を創ろうとしている。みんな若いのに頭が下がる。更に良いのが、メンバーそれぞれの芸術性が高く、それぞれのギグが高水準をキープ出来るって事。聞いてみると、美大卒や音大卒、バークリー卒って輩まで多くいたり。志が高いのも肯ける。

そんな彼らにオファーを貰って出演したギグ。今回は演奏側として参加。1時間程のギグだった。楽しかった!形態的には現代音楽とコンテンポラリー・ジャズが出入りしたような音場が出来上がった。共演したリモナイゼイションのメンツは、私の手法に困惑してもいたが、その困惑があってかえって複雑味を持たせてくれた。出来上がった作品も、皆個性的で目を惹くものだった。

共演後多くの観客、共演者、関係者から讃辞を頂いた。又の共演をとの声も多数頂いた。真に嬉しかった。モナイゾの活動、これからも見守っていきたい。そして微力ながらも力添えできればいいな、と思っている。

 

2007年1月24日(水)

 

ニューヨークから帰ってくると、どうしても東京人の歩の遅さにイライラしてしまう。そう私はニューヨーカーの飛ぶような歩きが大好きだ。街の喧噪、多くの誘惑にも脇目も触れず、目的に向かってグイグイ進んでいく彼らの歩は、観ていてもスカッとする。セッカチなんでしょうなあ、私は。母方の爺さんから江戸っ子気質を引き継いでいる事だし。だから大概は周りの人達を抜かしながら歩くのが常である。でもたまに私の脇をカツカツ....とハイヒールで抜いていく女性もいたり。「格好いいっ!」って思。そんなんで、スロー・ライフなんかでは全然ないのである。それでいいのだ。自分の気質に合わない歩き方をしたって、かえって身体に悪いだけだ。

 

2007年1月20日(土)

 

Micheal Breckerが死んでしまった。一昨年、彼が難しい病に冒されて闘病生活に入った際、世界のミュージシャン達が彼の為のドナーを捜すべく行動を起こした。私も微力ながらその一人だったが、他ならぬ 彼の為ならば時間を使いたいと思った。しかし....。

真の音楽家だった。聴く者に享楽を与え、疑問も与え、そして革新を追求し続けた。同じジャズ系の音楽家でもどれだけの人がそれを成し得ているだろうか?そして問答無用のテクニック。前人未踏だった。音楽家ならば尊敬せずにはいられない存在だった。そして今、多くの音楽家が同じ様なコメントを吐いているだろう。

彼は我が師Mikeとも大親友だった。Mikeは再結成後のBrecker Brothersにいたし、Steps Aheadでも一緒だったし、他数多くの共演があった。一昨年、Mikeに会った際「Michealさん、見舞いにいった?」と尋ねたら「現在は会える状態じゃないんだ。希望を持って見守ろう」って云ってたっけな。その後実はちょっと復帰していたとの事。でも...。残念過ぎる。

そしてAlice Coltraneも彼と同じ日に亡くなった。彼の最も尊敬していた人の奥さんと一緒に逝ったのだ。

 

2007年1月16日(火)

 

ちょっと(かなり?)汚い話。先達て、嘔吐した。サルトルじゃあ無いが。かなり久しぶり。単に深酒したためそうなった。嘔吐の時間はそれはもうイヤなものだが、何故か今回は「嘔吐もタマにはいいな」なんて気持ちになった。簡単に云えばスッキリしたって事だろうが、なんと云うか、体内を浄化して貰った様な気分になった。内臓に少なからず溜まった「邪」が、全てではなくても一気に放出できたような感。インドでは意図的に嘔吐すると云った療法があるとか。タマには吐くのもいいのかも知れない。

 

2007年1月12日(金)

 

ありがたい事に、今年も早々色んな処からオファーが次々と来ている。音楽も美術の方も。嬉しいですなあ。

特に今年は去年にも増して、新たな音時空間を創造するような仕事が多くなりそう。つまり、やったことのないジャンルの人との共同作業が多いッテコト。これは昨年からやってるmixiの力も大いにあるなあ。mixiのお陰で、とても素晴らしい出会いが沢山持てたし、久々の再開も多くあった。人と出会う事自体、私は好きだし、楽しみのひとつでもあるのだが、その人達から「是非共演を!」「是非イベントへの出演を!」と積極的に求められる事は芸術家冥利に尽きるってもん。そして積極的なんだよな、私への接触が。みんなが私との共演のために、日時、場所、スケジュール、コンセプト等をしっかりと持ってきてくれる。こうなると自分の主催がなかなか出来なくなるのだが、それは贅沢な悩み。そう云う人達とは時間の許す限り共演し、イベントには参加していきたい。

そう、積極性。どれだけ私を必要としてくれるか。それを知るのは簡単なことである。どれだけ私にぶつかってくれるか、だ。どれだけ動いているか、だ。ホントにやりたい奴は、もうやっている奴ってことだよな。私はやはり「やっている奴」が好きだな。

 

2007年1月8日(月)

 

七草も過ぎましたがあけましておめでとうございます。

もう流石に、音楽も、美術も、遺跡も始まっていて、正月気分はすっかりあっちの方へ。でも充実した1週間だった。

3日には一昨年ぶりに浜離宮へ。新春茶会へ参加。今回は藪内流。例年と比べ余計な解説抜きで緊張感も高く、良い茶会だった。茶も菓子もとても美味かった。ただ最近体重が増えたせいか、正座の足が強烈に痛くなりきつかった。鷹匠の放鷹も楽しむ。やっとハヤブサの急降下を観る事ができた。大感激。

5日は友人・梅花美月さんが展示している、すどう美術館へ。府川君、音楽家・武田モトキさんとも会い、帰りに4人で天狗で結構遅くまで飲んだ。モトキさんとかなり濃い音楽話が出来て楽し。美月さんの太陽のような人となり、いいなあと感。府川君の作品や人生観、それと彼の人柄のギャップも興味深し。

7日。遺跡仲間・小山たかや君の家で、遺跡仲間とおでん新年会。友人・さっちゃんの作った料理が激ウマで、酒も旨くて、かなり食い過ぎ。バカ話&赤裸々話で超盛り上がり。楽しかった!

 

2006年12月30日(土)

 

毎年恒例の今年読んだ本特集。

1、 Jean Jaques Rousseau「人間不平等起源論」
2、 楳図かずお 「神の左手 悪魔の右手」
3、 Paul Auster 「The Music Of Chance」
4、 Lafcadio Hearn 
「怪談」
5、 Paul Auster 「Moon Palace」
6、 西田幾多郎 「思索と体験」
7、 吉田修一 「パーク・ライフ、flowers」
8、 Paul Auster 「Lulu On The Bridge」
9、 宮田登 「神の民族誌」
10、 谷崎潤一郎 「吉野葛、盲目物語」

見てのとおり今年は前年までに比べて極端に少ない。例年の3分の1ってところ。そんなに忙しかったかなあ。忙しかったんだろうな。まあ、今年はmixiに時間を取られたって事が大きいかなあ。

ここんとこ毎年読んでいる作家が3人。幾多郎ちゃんとオースター、そして谷崎潤一郎。谷崎の場合は大概古本屋で100円で買ったものだ。100円で必ず感銘を受けさせてくれる巨匠。読むたびに、なんて凄い作家なんだと感心させられる。オースター作品がこの少ない中で3冊も。「Moon Palace」が素晴らしかった。「Lulu 〜」は映画を先の観て、脚本であるこれを読んだ。読んで良かった。映画が極素晴らしかったのだが、やはり映像だけでは察しきれない部分があるものだ。それを補って貰えた。幾多郎ちゃんも変わらず勉強になる。この作では他の哲学者への批評が多かったがとても解りやすかった。ベルグソンに興味を持っていかれた。他吉田修一の「パーク・ライフ」が爽やかな快作。読んだ後スッキリした。楳図先生のはちょっとグロくて売ってしまった。

来年はDavid Zoppettiの「命の風」から読み始めかな。

 

2006年12月11日(月)

 

昨夜は晶とデュオ・ライヴ。グッドマンにて。彼女とのギグはいつもそうなのだが今回も極幸せな時間だった。

彼女と演奏していると、たとえ自分がストイックな演奏に没入していても心情的には極安らいでいるのである。今回の私の演奏は、ミニマル色 が際立ったものに終始したが、その一見窮屈に思える時間こそ、逆に 陶酔の時間なのだ、そして、晶との演奏の場合にはそれが顕著なのだ。 なぜなんだろう?と、まあ、考えなくてもいい事を、考えてしまうのだが....。

これは私の主観に過ぎないが、そう言う風に聴く者や共演者に安らぎ を与える要素、それは、彼女の持つ強固な「間」ではないか?と思っている。 彼女の放つ音達ももちろん素晴らしい。しかしそこには安らぎという よりも、ちょっとした不安、うっすらとした悲しみが確かに存在する。 それは幼い子供ら誰もが持つ、世の中や自然に対する不安に似ている。 そういう音達を、自らの「間」で包み込んでいるのではないか、晶は? そしてその「間」は、周囲の者をも優しく安らかに包んでくれるのだ。

そんな彼女の「間」や音達に包まれながらも、私はかなり好き勝手な 演奏をさせて貰った。ドローンをやったり、ミニマルをやったり等々。 自作曲「高く」「白くて、黒くて」も、味わい深い演奏に仕上がった。お客さんも、音友・リコや彼女の友人さん、最近知り合ったパフォーマーの豆タローさんをはじめ、多くの方に足を運んで頂いた。

皆さん、ありがとう!

 

2006年12月5日(火)

 

雑記いろいろ。

NYから無事帰ってきた。もう10日も経ってはいるが。今回程帰りたくない願望を抱いた旅も珍しい。素晴らしい出会いもあったし、いいギグも沢山聴けた。それよりも今回は、何というか、NYの風情や空気に感化されて帰ってきた。音楽と人、美術と人がこれ程密に身近に接している街だとは!改めて痛感させられた。ハーレムの夜、暖かかった、涙が出た。

帰国してからも色んな事があったし色んな事をやった。

11/26(日)はまた柏でライヴ・ペインティング。今回もいい体験だった。演奏と空気を共にしながらの創作。雨に降られながらも、一心不乱に描く作家達。彼らと同じ場・時を共に出来て幸せだった。ライターの大島暁美さん、美術家の移動マッサージくん、あっこさんとも更に親密になれたし。

11/27〜12/2のギャラリー檜でのグループ展も得る物が多かった。出展者の殆どが、私より年輩のベテラン抽象作家ばかり。みんな独自性をしっかりと備えていて印象的な作品ばかり。その中の仲間入りさせて頂いて、私はいたく感激だった。多くの作家さんに好評を頂いた。

11/30(木)友人のKOWさんらのギグも聴くことが出来た。梅ヶ丘Crazy Catsにて。彼の作曲は以前から光っていたが、久々に聴いた彼の曲は、以前より器楽性がましてよりスリリングになった気がした。よくもまあ、あれだけギターを弾きながら歌えるな、とつくづく感心。共演のTNOYさんの歌は、宗教的メッセージを褌いっちょで弾きがたり、あっぱれだった。

12/3(日)晶とミーティング。10日のギグのため。彼女から話したいと誘われ、どんな話をしたいのかと思っていたら、演奏のイメージや心象風景に関する事だった。それについて殆ど共感出来たようで一安心。で、10日の演奏も具体的に練った。面 白くなりそう!その足でmixiで知り合ったベーシストTAMARUさんのスタヂオ・ライヴに。私と共通 点のあるドローン主体の演奏。ギターろ違い決して「ぶっ飛び」に向かわない持続音がなんとも心地よかった。睡眠と覚醒の狭間に居た60分だった。

 

2006年11月11日(土)

 

今年もNYに行くことになった、というか行くことが出来そうだ。どうも1年に一度はあの地に行かなければ気が済まなくなってしまった私。まあ、しょうがない。 私にとって、最高の娯楽がNYなのだから。今回は1週間ほど。あまり密度を求めないでゆったりと過ごして来ようと思う。とかいっておいて、結局忙しくしちまうんだよな。マイク師匠にも会える。とても良さげなギグも多いようだし。今回は音楽中心かな?美術はさておいて。短い間だけど、いい出会いが出来たらいいな。

 

2006年11月3日(金)

 

今日は遺跡友達であり音楽友達のアッキーから誘いを受けて八王子へ。 「八王子アクターズ」という障害者と健常者が、共同で創作活動等を 行っている団体の、今日は公開リハーサルへ参加との事で足を運んだ。 しかし、行って見たらなんと、ちゃんと立派なステージが出来ていて、 これはれっきとしたライヴだなと少々と裏切られた(嬉しい)気分に。

5時間近く、何組ものバンドやユニット、ソロが演奏したが、皆熱演。 音がはずれようが、曲が止まってしまおうが、チューニングが狂って いようが、彼らの演奏には「力」があったし、「個性」が光っていた。 なにより、音楽に向けられた情熱。それに触れられただけでも満足だ。 彼らの持つ情熱は、もしかしたら職業音楽家よりも熱いのでは、と感。 実際に存在する、金や名誉の為だけに音楽をやっている輩達なんかに 比べたら、彼らの精神性は遙かに高く、そして音楽自体も美しいのだ。また、こういっては逆に失礼なのかも知れないが、障害者方々の持つ 感性の鋭さは健常者を凌いでいる気がした。彼らの演奏、彼女らの 何気ない言葉に、思わずハッと閃くものが数多く発見されたのだった。

そんな素晴らしいライヴに、申し訳ないことにトリをやらせて貰った。 ドラマーのボブさん、ベースの西山克幸(Killing Floor)さんと3人に よるセッション。その前迄のギグで西山くんはかなり飛ばしていた為 全体的にしっとりとした、印象派的な音楽に仕上がった。もう少しは 盛り上げるべきだったかな?とも思ったが、予想外に大好評で一安心。 聴いていた女性のひとりに「あなた、美しい男ねえ」と云われて、いい気分に。

帰りはみんなでカレー屋で、安くて旨いカレーを食いながら打ち上げ。 アクターズのみんなに歓迎されて嬉しかった。ホント素晴らしい団体。 文化の日にこれ以上ない位相応しい「文化的」な日を過ごせて最高っ!

 

2006年10月29日(日)

 

昨夜の野村雅美・黒井絹DUO Live at KANNA に来てくれたみなさま、 誠にありがとうございました。お陰様で良い演奏が出来上がりました。

ゲストの卑弥呼さん(レインスティック)中島良太くん(ディジリドゥ)、 素晴らしかった。卑弥呼さんの演奏は、前回よりも断然舞踏的で 自由度も遙かに高いものだった。中島良太の演奏はやや小さめの楽器 だったこともあり、とても繊細な音のうねりを空間に放っていた。 絹さんの演奏にも、また新境地を観た。果 てしない低音の持続を。

そしてなにより心地よかったのが、4人で純然たるグルーヴを創れたってこと。 中島のビートに3人が引っ張られ、暫くの間、4人がグルーヴに支配 され続けた。グルーヴに束縛された。実に天国的な束縛だった!

あんまり素晴らしい夜だったので、お客さんで来てくれた方々と長々 と話し込んでしまい、気がついたら25:00。終電を逃してしまった。 多くの人と出会うことが出来たしライヴも大成功。良かった。 卑弥呼さん、絹さん、中島良太、そしてうちのかみさん、ありがとう!

 

2006年10月24日(火)

 

来る10/28(土)はお世話になっているKANNAで初めてライヴを試みる。なぜKANNAでライヴをやってみようかと思ったかというと、俺にとってひとつのライヴ拠点が欲しかったから。気楽ないい雰囲気で、なるべく安いチャージで、そして前向きな音楽ができる拠点が。KANNAではいままで多くのライヴをやって来た様だけど、最近少なくなったと、店主の多民さん。ならば私が、その火を消さずに盛り返そうと考えたワケ。

KANNAの音響はとても良いので、共演者の絹さんのビッグ・ヴォイスはもの凄く響きそう。それはゲストの中島良太のディジリドゥにも当てはまる。彼らの音達が、どんな風に店内を廻っていくのか興味深い。そしてもう一人のゲスト、卑弥呼さんのレインスティック。彼女のそれは舞であり演奏だ。さて彼女どんな姿を魅せてくれるのか、楽しみ。彼ら三人との即興的創造、きっと素晴らしいものになるに違いないさ!

 

2006年10月12日(木)

 

今夜、中野カンナで極素晴らしい芝居を観た。劇団名はチャリカルキ。 そこカンナで知り合った、女優の菅野さおりさんが出演するとの事で、 ちょいと観に。

1時間内に死生観、親子観、芸術観などが極めて自然 に会話されていく。そして舞台がバーである事の必然性が見事だった。 なにより役者達が活き活きとしていて、前向きで、そして上手かった。 私が芝居を観て感動したのは、20才の頃万有引力を観た依頼である。

彼らは今日が初日。今後31日迄毎日何処かのバーで公演するらしい。 ホントにいい芝居!観て損はないです。興味ある方お近くで、是非っ!
http://www.charikaruki.com

 

2006年10月8日(日)

 

昨夜は中秋の名月。で、今日がホントの満月との事。

今日昼間、友人の舞踏を観に町田・薬師池近くの自宅サロンに行った。 和泉舞さん。彼女は主に原爆をテーマにした舞踏を行っているのだが、 今日は違って「月兎・つきうさぎ」がテーマ。ゆっくりとバランスの 良い身体運動と空気の対流が心地よくも厳しい、濃密な1時間だった。

薬師が丘のバス停で待っていたら、バッタが一匹、私の腕に止まった。 どうやら私の日焼けした腕は、虫たちにとって木の枝に見えるらしい。

夕方、先日ライヴに来てくれた、さかえさんと待ち合わせてお茶した。 ライヴの節はちゃんと話が出来なかったので、心残りが大いにあった。 共通の友人の話や、音楽、芝居の話等 尽きない話をしていたらあっという間に1時間に。とても楽しかった! 彼女が参加したバンドLa Variete のCDを頂いた。そのなかの一曲に 「月の兎」という曲があった。偶然か、必然か?今日は月についてた! さかえさん、また会いましょうね!さかえさんの活動も観てみたいよ!

 

昨日の中秋の名月は大雨でダメだったけど、それでもいい一日だった。

昼間、縄文土器をひたすら洗った後に、銀座に出て友人の個展を観た。 紙田鏡子さん。今まではモノクロでとても細密な絵を描いていた彼女。 今回はそれ+コラージュによる色彩が現れて、進化へと向かっていた。

その足で中野へ。個展でお世話になっているbar&&kitchen KANNA。 今度はライヴをやらかそうと目論んでみた。黒井絹さんと待ち合わせ。 とても落ち着く気楽な店。どうやら絹さんも気に入ってくれた様子で。 で10/28 (土)にライヴをやる事になった。詳細は近々アップします。 外の雨音、楽しい会話、Billie HolidayのBGM、そしてバーボンに酔。

 

2006年9月26日(火)

 

昨夜の野村雅美・黒井絹DUO LIVE。楽しかった!

今回も私がクラシカル・ギター、絹さんがヴォイスのみ。完全生演奏。 絹さんのスタイルに、大きな新境地を見た。それは1セット目の冒頭 から明らかだった。そこには確固たる「霊性」が存在していたと確信。 私のギターは正直、閃かないなあ、と感じながら演奏している時間もあったのだが、プレイバックを聴いてみると、なんのなんの、面 白い! 生ギターを掻き鳴らし、呻らせ、覚醒させんとする音時空間は天国的。

そして初対面、mixiで知り合った卑弥呼さんと共演。素晴らしかった! 私の頭上で鳴らされる彼女のレインスティック。そのサラサラと響く 音のつぶつぶ=パルスは脳を揺さぶり、本当にぶっ飛びそうになった。

お忙しい中、グッドマンまで聴きに来てくれた、さかえさん、KOWさん、 りこっぺ、まいさん、卑弥呼さん、中川さん、櫻井ご夫妻へ、ありがとうございました! ホントに素晴らしい出会いが持てました。

 

2006年9月24日(日)

 

今日の午前中は、井の頭西園へ。三鷹国際交流フェスティバルを見に。 これ、結構毎年楽しみにしている。エスニック・フードの屋台が沢山 出たり、歌や踊りの催し物も盛り沢山で。俺はナシゴレンを食しつつ 東京女子大学のチアリーディングを楽しんだ。確かに元気、貰えたな。

午後、昼寝をたっぷりととった。サイとワシが目の前でつつき合うという奇天烈な夢で起こされた。

夜、かみさんと夜遊びに。といっても、お茶しに行っただけなのだが。 明日で閉店になる「いせや」の前で記念撮影を。さすがに長蛇の列が。 俺以外にも写真を撮ってる人が大勢。まあ一大事だよな、いせや解体は。

お茶はじょーじ東急裏のスターバックスで。涼しいをちょっと超えた 風に冷やされるのも心地よし。道行く人達を眺めるだけでも結構楽し。 帰り道、井の頭の森で写真を撮って遊んだ。ハロゲン・ライトに浮かび 上がった木々の姿がうごめいている様で、なんとも幽玄で奇怪だった。

 

2006年9月10日(日)

 

明日は言わずと知れた9・11。世界が震撼した日。

浅間山荘事件もショックだった。三島由紀夫割腹もショックだった。 しかし、9・11のあの日程ショックを受けた事は今まで無かった。 2001年の6月、私達夫婦はあのWTCのビルに登ったのだった。 そのビルがテレビのブラウン管の中で脆くも崩れ落ちていったのだ。 私の精神的・芸術的楽園であるNYが・・・。涙が止まらなかった。

昨年の今頃はNYにいた。そして、9・11は灯籠流しに参加した。 あの日に亡くなった3000人の霊に対して、何かしたかったから。 ハドソン川にカヌーで灯籠を流すセレモニーのボランティアだった。 WTC跡地から天に放たれた青い光。お経の響。神聖な儀式だった。今年も実は参加したかった。でも日程上無理になってしまい残念だ。

作家のPaul Austerが「NYはアメリカから独立すべき」と雑誌のインタビューで語っていた。私も同感だ。

 

2006年9月5日(火)

 

きのうもそうだったが、今日も色んな虫たちと戯れながら過ごした。 この夏、随分蝉を捕まえた。勿論一通り遊んで貰って逃がすのだが。 で、統計的に間違っていないであろう蝉の傾向を掴むことが出来た。

というのは、♂と♀の度胸の差である。♂蝉は捕まえると大変だ。 ひたすらビービー泣き続け、じたばたし、手を緩めると速攻逃げる。 でも♀蝉の多くは、捕まってもじたばたせず逃げようともしない。 逆に私が立っていると、私に止まりに来た♀蝉が2匹いたくらいだ。 彼女らは私の体を這い回り、ひとしきり観察したら飛んでゆくのだ。

この♂♀の差昆虫学的に真か?人間の♂♀もそうか?

 

2006年9月2日(土)

 

昨日はホントならコラボ・ライヴに出るはずだったが断ったのでその時間がフリーに。やらなくて良かった。晴れ晴れ気分だ。

夕方、銀座に出て最近知り合った友人の個展に。俺もとてもお世話 になっている小野画廊へ。彼女をオーナーの小野さんに紹介したら、 小野さん彼女の作品がとても気に入ったらしく、即決まったらしい。 彼女の作品、とてもオーソドクスな人物画なのだけど、全ての作品 に暖かい肯定的な愛情が滲み出ていて、観ていると心がホンワカと。一通 りみせてもらって、小野さんに挨拶を して次に向かった。小野さんに「そろそろ、またやりますか?」と。

銀座を歩いてると、必ず多くの人から声が掛かってくる「野村さん 又会えましたね」なんて。この日も俺の尊敬する画家・臼木英之氏 や顔見知りのコレクターさん、どっかで見たっけなあ、って人まで。

その後六本木でかみさんと待ち合わせして、STB139でライヴ鑑賞。 嬉しいことにこれは御招待頂いたのだ。 ゲイリー・ボイルという、ちょっと伝説的なギタリストのライヴで dsにゲイリー・ハズバンドが来るってことで、これは!と思い早々 御招待頂いた。結局はG・ハズバンドは病欠でトラが急遽呼ばれた。 そのトラドラマーの演奏が素晴らしかった。マーク・フレッチャー。 かなりのベテランながら衰えを見せず、アフター・ビートが強烈で。 世界には凄いドラマーがいるもんだな、とつくづく思い知らさせた。 こんな人とプレイしたいなあ、と思いつつ、彼の姿ばかり観ていた。 凄えドラマーとの演奏って天国的なんだよな。

 

2006年8月30日(水)

 

昨日仕事を休んでばあちゃんの見舞いに。母方のばあちゃん88才。 容態が悪いと云われていたので心配だったが、元気そうで安心した。 8人の子供を育て上げ、いまや玄孫までいる。尊敬すべき人である。

病院見舞いの帰りに、母方の実家に寄った。約20年ぶりの再訪。 そこには私の精神的な原点があると信じて止まない。幼い頃の多く の時間を其処で過ごした。家に着いた時、ガキの頃の色んな事々が回想された。

森を駆け回った。
畑仕事を手伝わされた。
カブト虫を採った。
クワガタも採った。
落花生もぎを手伝わされた。
広沢虎造を聴かされた。
時々九十九里の海にも行った。
タケノコを掘った。
雷魚を釣った。
将棋を習った。
鶏の首をひねった。

23年前に死んだじいさんと毎日そんな事ばかりやって過ごしてた。 それらひとつひとつが私のとって掛け替えのない宝になっている。 その家の裏には竹林があり、その先にはJR外房線の線路が走ってる。 線路の向こうは一面落花生畑や田んぼ、そして鎮守の森が幾つか見える。 その風景は殆ど変わってなかった。線路が複線になった以外は。 ガキの頃はよく線路に耳をあて、遠くの電車の音を聴いたものだった。竹達、巣を張った蜘蛛達と暫く対峙。そして感謝。

 

2006年8月13日(日)

 

昨日のひとり芝居「ヒナタノカゲ ヒカゲノヒカリ」。真に貴重な体験で新たな多くの血肉を得た一日だった。

言葉とのコラボレーションがこれ程までにスリリングで楽しいモノ とは思いもしなかった。また、コラボの相手が言葉だけではなくて、 身体でもあることが改めて理解できた。言葉と寄り添い、また反発 し合い、身体を揺さぶり合い、そして第三の要素=空気を揺さぶる。 それは今までに体験した事の無い領域だった。まさに新境地だった。

松下美沙の脚本は「私の中のもうひとりの私」との対話がほとんど と云って良い話。「もうひとりの私」は「私」を守ってくれたり、 傷つけたり、励ましてくれたり、陥れたり...。決して優しいだけの 存在ではないけど、それでも、不可欠な存在である事を再確認する。 所謂、ユングの「ペルソナと影」を具現化している様な脚本だった。 私はそのふたりの「私」の対話のリアリティーに、演奏しながらも 後頭部が暑くなり、鳥肌が立ちっぱなしになった。凄い時間だった。

演劇との共演が、これ程まで素晴らしいとは!松下美沙に大感謝だ! マチネとソワレでは私の演奏が違うモノになるのは自分自身理解 していて当然だが、彼女の演技までが大きく変化していたのには大変 驚かされた。彼女曰く「野村さんの音楽に影響されたかったんです」 とのこと。演劇の即興性の面 白さ、爽快さを改めて認識させられた。

昨日は突然の大雨や落雷、それに電車のストップ等、客足にひびく 事ばかり起こったのにも関わらず、多くの方々に来て頂きました。 誠に有り難う御座いました。お陰様で、再演の話などもありました。 これから先も演劇や舞踏などとのコラボをもっとやって行きたいな。

 

2006年8月7日(月)

 

日曜日のakiraとのDUOは、いつもとはちょっと違う音楽になった感じ。 akiraの持つ「ひっそり感」は全く変わらず普遍的だったが、その中 に、何というか、強靱さが垣間見られた気がした。弱さが消えていた。 彼女「弱さ」もとても魅力的で良かったのだが、強くなった彼女の音 も魅力的だった。彼女、本質は変わらないまま、進化していたのだ。 そんな美しく少し変貌した彼女に触発されて、いつもならば彼女には 合わせない16ビートのストロークをぶっつけてみた。極面 白かった。 ストロークによって流れる和音のなかで、彼女のコラージュ的な音の 断片達が、その流れの原動力であるかのように際だって輝いていた。

タイバンの小川圭一さん(a-sax)も素晴らしかった。彼のsaxの 音はポール・デスモンドを連想させた。最後に彼のゲストで来ていた 廃人我号さんと4人でセッション。久々に大暴れさせてもらって爽快!

 

2006年8月1日(火)

 

7/28(金)黒井絹さんとのDuo 。高円寺Goodmanにて。

この日はクラシカル・ギターで完全生演奏だったのだが、弾き始め、 正直かなり戸惑った。自分のギターのモニター・バランスがどうも 掴めない。反響するのか、吸音されるのか、中途半端なのである。 でもプレイを続けるほどにそれにも慣れていき、いい感じになれた。 ギターの音色が、荻窪グッドマンよりも硬質に、明るく響いていた。

今回も、生ギターのよるストロークの限界に挑戦した。そしてそれは 音量の点では○だが、音質の点では△。力一杯弾いてみて、だから 大きい音が出せるって訳でもないが、それでも力一杯弾いてみて、 どれだけ美しく、Big toneが創り出せるか。まだまだ発展途上だ。

絹さんは、殆どギターを弾かなかった。弾いて欲しいな、って気も したのだが、彼の声は、それだけで強烈な存在感を現せるのだから、 彼のギターが無くても、全く不足ない音世界を創造できたと感じた。

 

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