日本語字幕:手書き下、戸田奈津子/シネスコ・サイズ(レンズ)/ドルビーデジタル・dts・SDDS
(米R指定)
1931年の冬、アメリカが世界恐慌と禁酒法にあえいでいたとき、12歳の少年マイケル・サリヴァン・ジュニア(タイラー・ホークリン)は、父マイケル・サリヴァン(トム・ハンクス)の仕事が何か気になり、あるとき夜中に外出する父の車に身を隠した。 |
「アメリカン・ビューティー(American Beauty・1999・米)」のサム・メンデス監督作品だけあって、かなり重くヘビーなギャングものだった。自らギャングの一員で、大ボスの片腕で皆に恐れられる存在でありながら、ひょんなことから逆に追われる立場となる。しかも追ってくる相手は育ての親のような人物で、その息子はまったくダメなバカ息子で同時に敵討ちの相手……という複雑な人間関係。まさに「アメリカン……」の世界がそこにある。ちょっとブルーになるなあ、やっぱり。 よくたとえられているように、確かにこれは21世紀の「ゴッドファーザー(The Godfather・1972・米)」なのかもしれない。ファミリーの物語。少年が大人になる物語。雰囲気はよく似ている。重厚な映像の感じも。父と子の物語も。 ただ、違うのは、これは子供の、少年の視点から、描かれているという点。だから、ある意味で醒めているし、目線が低い。ほとんどの銃撃戦も、少年の視点から捉えられていて、直接銃弾が撃ち込まれるところは描かれない。撃ち空の薬莢が落ちてきたり、血糊が壁に飛んだり、そういうシーンになっている。これもちょっと新しい。 ただし、開巻早々、息子が父の仕事への好奇心から倉庫だか車庫だかで殺人を目撃してしまうシーンは、カッコよくいかにも映画的なのだが、リアルではない。ドアの下の隙間から中をのぞいていて、そこにトンプソン(別名シカゴ・タイプライター)サブマシンガンを持った父がいる。父がトンプソンを撃つと少年の目の前にバラバラと空薬莢が落ちてくるわけだが、残念ながらこの位置で撃ったら空薬莢は2m以上、場合によっては5mくらいも右に飛んでいってしまうのだ。もちろん承知の上での映画的表現だろう。流れの中では気づきにくいが、違和感は残る。なんだろうと考えてみると、そういうことなのだ。 それから、この監督は、いわゆる電着銃(電気着火銃=ノン・ガン)も使っている。最後の方の浴室での射殺シーン、軍用のガバメントを持って入ると、ハンマーが倒れたまま2〜3発撃ってしまうのだ。ただ、トム・ハンクスはさすがアカデミー賞俳優だけあって、ちゃんと手首を使って銃を跳ね上げ、反動を表現しているが。たぶん監督の指示ではなく、ハンクスの個人的なパフォーマンスだと思う。というかそんな気がする。 驚いたのは、生え際をそり上げて、頭頂部近くの毛を抜いて薄ハゲになった殺し屋のジュード・ロウ。演技は抜群。もちろんトム・ハンクスはうまいが、何を演じてもトム・ハンクスなのに対して、ジュード・ロウは「A.I.(A.I.・2001・米)」でセックス・ロボットを演じていたとは思えないほどの変わりよう。往年の名優にしてアカデミー俳優のポール・ニューマンといい勝負。とにかくこの映画はいい俳優に恵まれている。そのジュード・ロウが使う拳銃がスペインのアストラ400(たぶん。ひょっとしたら800かも。9mmルガーモデルがあるから)という珍銃。この銃を使わせようという人が、なんで電着なんか使うんだろ。矛盾してるよなあ。 とにかく、ちゃんとした父は、息子にとって永遠のヒーローだと。ラスト、救いがあってホッとした。 公開初日の初回、ちょっと早めの60分前についたら、新宿の大劇場には8人ほどの人が。先頭がおやじなだけで、あとはほとんど大学生くらい。女性も同年代が2人。 ちょっとゆっくり25分前に開場になったが、その時点では当日券に20人ほど、前売り券に30〜40人くらいの行列。大作というのであれば、ちょっと物足りない行列かもしれない。女性は全体の1/3くらいで、中高年も1/3。若い男性が多い。 初日初回は全席自由で、12席×5列にぴあ席9席をくわえた座席もすべて自由。初回は嬉しい。次第に中高年が増えだして、白髪が目立ってくる。女性の比率も上がって、最終的には6対4くらい。座席は1,044席の5.5割程度しか埋まらなかった。中劇場なら満員だが、大劇場でこれは辛い。ふーん。 |