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 右が妹(F子)

2004年に 妹が亡くなりました。
乳癌を患い、12年間の闘病生活でした。
器用で 上手で 絵を描いたり 手芸をしたり… 作品が たくさん残されました。
思い出と共に 紹介しようと思います。





モラの手提げ  デザインは モラの手芸本を 手本にしています。
(書名が分かれば 紹介します)
親猫のお腹の中に 子猫がいます。













妹は 12年間、病気に関連して 病院やクリニックと 関係してきた。
治療を探し、意見を求めました。

C総合病院
    最初から ホスピス入院まで メインとなった病院です。
D総合病院
    放射線治療を受ける。
都内の大学病院
    姉宅(2.5時間)から通院して 放射線治療を受ける。
Y市のクリニック
    TV等で知り、受診。 ホルモン治療。
メールでの問い合わせ
    TVで知り、N先生とメール。
電話での問い合わせ
    著書から。
県内の大学病院
    免疫療法を受けるが 活性化せず。
クリニック(漢方)
    漢方薬処方。
E医療センター
    婦人科受診。
ホスピス
    最後の40日間過ごす。

主治医(DR.A)と 都内の大学病院(Dr.)には ひとかたならぬお世話になりました。







1992.2.6.妹が叔母と 3泊4日の北海道旅行冬祭り三昧ツアーに参加。
その時の様子が 手紙にしたためられていました。
札幌雪祭り、旭川冬祭り、層雲峡氷爆祭り、網走オホーツク海氷祭り、知床オーロラ…

真冬の北海道を体感し、美味しいものを食べ、飲み、楽しんだ様子がわかります。
そして 最後に「今度は どこへ行こうかな。」と結ばれています。
この後、11月には 肝転移が見つかり、抗癌治療に入っている。
肝臓に 転移後は 大好きなアルコールの量が ぐっと減りました。







アートフラワー

大学在学中、アートフラワーを習っていた。
布を染め、コテを当てて 丸みをつけ、葉脈をつけ 花を仕上げる。
手間がかかるが いろいろ作って プラケースに入れて 飾ってあった。

青のバラをはじめ これだけが 私の手許に 残っています。

自分の為に 作ったブライダルブーケは 使われずじまいだった。







トイレットペーパーホルダー







乳癌術後、転移まで 教職に復帰。
転移後は 教職に戻る事はなく 抗癌治療を続けながら 生活を楽しんでいました。
楽しんでいた? 残された者にすれば そう思いたい。
国内外に旅行して WOWWOWを視て 好きな物を食べ そして 治療に専念する。
きつい治療に 立ち向かう為に 次のご褒美を 用意していたように思う。
半年後には 1年後にはと 思う気持が支えた。

1996年 左胸水と複数の縦隔・脊椎への転移時 主治医(Dr.B)から 余命半年と言い渡された。
父母は 先に逝くであろう妹に どういう気持ちだっただろう。
妹は 自分なりに調べ、「放射線治療を受けたい」と言い、気の進まぬ医者から 紹介状を貰った。
総合病院ではあったが 放射線科はなく 他院で 治療を受けた。
それが 功を奏して 寛解。
主治医は 「貴女には 効いたんですね」の一言だったらしい。
その後、妹も母も この医者に 信頼がおけず 転勤したのを機に 主治医が代わりました。
次の主治医に ホスピスまで 診て貰いました。

余命を言い渡されても あきらめなかった妹は すごいと思った。
いい主治医に めぐり会えるかどうかは 患者にとって 生死を左右されます。







メーリー クリスマス

以前、折り紙のカードが 送られた来ました。
折り畳むと平面。開くと 飛び出して 立体になります。
茶谷正洋著を 参考にして 作ったのだろう。
病院の待合室に 雛祭り、クリスマスといったカードを 黙って置いていた。

手許に 2冊の 折り紙建築の本(茶谷正洋著)がある。
作ってみたいなと思う作品が たくさんある。







妹が亡くなって 2年経ちました。
退院して 自宅に戻るのが希望でしたが 病状から 無理でした。
少しでも より良く 過ごせるようにと ホスピスに転院しました。
それから 2か月足らずでした。
自分自身の病気を 観察して 探求していました。
主治医は 詳細に説明し セカンドオピニオンも 受け入れてくれました。
自分で 治療を選択し 医者の意見を求めました。
その姿は いつも 前向きでした。







1992年春 勤め先のがっこうの健康診断で 胸部の診察を受けるようにと云われ、夏休みを待って 外科を受診をしました。
診断は 左胸乳癌。
当時、手術は 乳癌温存より 切除が主流でした。
手術は 成功。
良かったねと 皆で喜びましたが 思いやると 30代 未婚で 片胸を失うのは 悲しい事です。
妹の気持ちを どれだけ分かっていたのか?

9月から 教職に戻りました。
「気を付けていても 左肩が下がり、バッグは 右肩に掛けないといけないと」笑いながら話していました。







ベルト通しのミニポーチ

デフォルトされた木は 黒地に銀地で モラでつくっています。
金ボタン、ビーズで 華やかに 周囲は 金銀黒紐でかがっています。
大小2個作り、画像は小ポーチです。
ベルト使用のズボンは 着用してないので 未使用のまま 手許にあります。
デザインは オリジナルかどうかは 不明です。







ミラー付きのバッグ

布地は ピンクの麻布で 見た目より しっかりしています。
地の糸を抜いて かがっている刺繍は 細かいです、名前が 分かりません。
下左を画像・ミラーは ステッチの中に 収まっています。
妹と私用 二つ作成しています。
デザインは オリジナルではないかもしれません。







妹の病歴が書かれた2枚のレポート用紙があります。

1992. 8. 左胸乳癌ハルステッド手術。
1996. 8. 左胸水と複数の縦隔・脊椎への転移。
         放射線治療。
1998.11. 複数の肝転移。
         抗癌治療。
1999.12. 肝臓への放射線治療。
2000. 7. 肝転移に動注法と血管塞栓症。
2001. 1. 免疫療法を試みるが 活性化せず。
      3. 抗癌治療。
      9. 肋骨転移。
2002. 8. 抗癌治療。
2003. 2. 肝転移に 再度 動注法と血管塞栓法。
      3. 胸椎転移。
         抗癌治療。
      7. 内服抗癌治療。
     10. 子宮体癌原発、左卵巣転移の為、手術。
         抗癌治療。
2004. 7. 腸閉塞に対して 減圧治療。
         腹水穿刺吸引法。
      8. 抗癌治療。
     10. 緩和ケアの病院へ

きつく、辛かったんだろう、良く耐えたね。
何が そんなに 強くしたのだろう。 治療に「ね」をあげなかった。
闘病を支えたのは 両親。母親は献身的でした。

ハルステッド手術  乳房、筋肉、腋下(えきか)リンパ節を全て切除。







アジュール刺繍

 14×14

 13×13

麻布は 1cmゲージに 11目です。
アジュール刺繍のいろいろな技法です。
私の手許には この2枚ですが 大作もあるので いずれアップします。

妹は 病気を患って 手術をし、仕事に復帰しました。
4年後、再発してからは 復帰もかないませんでした。
毎年、入院と治療は 続きました。
小康状態に 旅行をし、ビデオを視たり 手芸に励んでいました。
根を詰める性格で 体に障らないか 周囲が心配するほどでした。







黒のビニールレザーバッグ 

母と妹と私に 3点作っています。
手芸教室のカリキュラムの一つかな。バッグは外注で仕立ててあります。
刺繍糸の ふっくら感がは やさしく大人しい感じです。

大事にとってありましたが 使う事にします。





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