妹のページ4

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幼い時の面影は 今はありません(悲)
2歳と4歳かな?





  ファスナー付きポケット

リュック  41×31

地色のグレイに 可愛い色使い、モラも陽気な感じです。
「妹のページ3」のモノトーンのリュックは妹用で このグレイは母用です。




 




  

18.5×25.5 (作品のサイズ)

絵画的な作品を目指した 妹のオリジナルの作品です。

門扉を 糸、布等で かがったり、張り付けたり、彩色したり…
箒、花束、ドアノブ、ドア飾りも 工夫して取り付けています。
作品の中でも 妹のお気に入りの一つです。




 




 タピストリー  100×150

 

白の麻布に 黒で刺繍。
葉っぱは 100枚以上あります。
これだけ刺すのに どの位の手間が掛かったのか?
大きい布を 膝上でさばいて 刺繍するのは 苦労します。







 ツリー  34×41.5  

この時期にふさわしい物をと…。

 

白糸の麻布に 緑と金糸で押さえた色調が かえって華やかに 思えます。
刺繍も いろんな技法で刺して とても凝っています。
左上は ソリに乗ったサンタが 空を駆けている様子です。

 







 ショルダーバッグ  23×25 マチ5

 
モラにビーズ 華やかより可愛く







 テーブルセンター

 区限刺繍など







 クロスステッチ部分  36×9.5

1cm8目の布地に 二本取りです。
下の女の子だけが 刺繍されてなかったので 私が手を入れました。
壁掛けに 仕上げました。







とうとう 三か月でリバウンド

肝臓に新たに数個、肺に微小ながら数個に加え、
三週間前からの胸の縦隔付近のふくらみ=腫瘍の増大による左胸の締め付けが 非常に気になる。

再入院までの間、いろいろ相談しながら 不安と落胆が入り混じった気もそぞろの日々を過ごし、
いよいよ明日から あのベッドに釘付けの 副作用の重複の三か月を 甘んじて受けないといけないのか?

化学療法期間分さえ、今度はリバウンドまで 待ってくれないかもしれないという辛さと
化療では 胸の腫瘍の症状は消えない。

却って 化療による心臓ダメージetcの副作用に耐えられないのではないか。

胸より 肝臓、肺の全身化療を優先する考えは分かるが 前回と同じレシピでは 効果は期待できない。
胸の症状の悪化への不安 短くなっていく代わりに 副作用によるダメージは増大する。

化療は 不信を抱いている私にとっては あまりにも辛すぎる。

何を支えにしていいのか 退院の日を思い描いても 夢のない 意味のない 虚無 虚脱感しか 広がらない。

おそらく 明日からの化療は前回に増して 死人の様な肉体・精神状態だろう。

それが 3か月も続く もう 何も考えたくなくなった頭は ボーッとなり 何もしたくない。
このまま 化療を受けずに 時が止まってしまえばいい。

あまりにも 理不尽な思いが さらに 胸の締め付けを 増幅させる。

先の明るさの無い、長い、辛い3か月を送るのは この私自身なのか?

1999.5.10.

化学療法の効果に 疑問を抱き、副作用に痛めつけられるのだが
胸の圧迫感は消え、順調の結果が出る。
9月に 叔父、叔母と地中海旅行、10月に 私(姉)と勝沼、高山へ出掛けている。
辛かっただろうが 化療は 一時的にはあるが功を奏した。







妹の作品の中から やりかけのクロスステッチを見つけました。
これなら 私にも出来るでしょう。
5人目の女の子も 私の選んだのと同じみたいです。

で、刺し終わったら 何に仕立てましょうか?

不思議ですが 帰省から帰った日に 夢を見ました。
妹に 「ねえ 何にするの?」って 聞いていました。
返事は 直に聞いてなかった、でも 壁飾りのイメージが 残りました。
それでいいよね。







妹のノートから

病歴 … たわ言

新採の頃から 胸に十円玉のような固まりできる。
毎年 夏 数年間に5〜6個ほど 良性の線維腫ということで トンと 乳癌は考えなかった。
家系的にも 食生活にも 原因はなかった生活をしていたから。

それから14年後(バルセロナオリンピック)また 胸に 十円玉の固まりが
しかし これは 日に日に 大きくなっていく気がした。
仕事の休憩時期まで 1か月ほど待って 病院へ

小梅ほどの大きさの しかし 乳癌(左胸上)だった。
主治医は「こんなに小さいから 転移はないだろうが ハルステッド手術(全摘出)後は ホルモン剤服用でいいだろう」と判断。
これが この時から 12年間 私の人生は 変わってしまった。

乳半分となり これで 婚期遅れる。
ニューハーフと言う 心なき慰めに 37歳の涙 人知れず

6人の大部屋 私の他は 足の静脈瘤と胆石の病気。
一番若い私は 病名も職業も言えず 井戸端会議を毎日 聞かされる事に辟易。

どうも 肝臓に大きな癌らしき物があり
Dr. ナースが 若いのにかわいそうにと思っていたのか
私の顔も見ず、声も掛けてくれず する事をしたら すぐ 私の側から 離れる。
うってかわって オバさん達とは ふつうの会話。
主治医が あの小梅の大きさで 肝転移はあり得ないと 有無を言わさずに 肝動脈動注検査。
血管腫と分かり 肝転移の疑い晴れ、Dr. ナースの心晴れ晴れと。
しかし、何か 空々しいね。
痛みを感じないのに 検査で痛みを貰って 退院する。
私の心は 晴れない。

さらに 4年後の夏、アトランタオリンピックの年。
天井の扇風機の風に コンコンと咳、おかしいと診察したら
左胸の4分の1まで 胸水に押し縮められていた。
即入院 前回で懲りたため 個室へ。
個室 絶対個室 個室に固執

余命半年

胸水の量は?と聞くと 淡々と「ペットボトル1本分」

「何も 治療法はありません。あっても 1,2年の延命です。」
私の主治医ではない言い方
胸水抜きながら 抗がん剤注入。
しても せいぜい 1,2年延命するだけ

じゃ 何もしないで 痛みの自覚症状もなく 死を待つのか? バカヤロー

ああ 患者は 医者を選べない。
23才のあの最初に診察したDr.が 主治医となる。
あまり好きでないDr.に似た司会者や タレントに出くわすと すぐ チャンネルを替える。


オリンピックの年に 大きな手術や治療が 回ってきました。
余命半年と言われて 本人のたっての願いで 放射線治療を受けました。
半年でなく 8年後に 亡くなりました。







  蓋を開ける

蝶のショルダーバッグ  18×22

しっかりした麻布に 青紫でクロスステッチ。
蓋に ビーズで縁かがり。

  後部の刺繍

房を見ると 妹が よく使っていたのでしょうね。







モラ  51×40 (額入り)

「カバ」 カラフルで きれいで 細かいです。(手本とした本があります)

 







 

巾着  24×20

黒のコーデュロイ布に ☆をビーズで 飾りました。
ロングドレスの残り布を 利用して 作っています。
なんとない巾着ですが 金銀のビーズで 華やかになります。

妹は背(167cm)が高く ロングドレス姿は よく映えました。







テーブルセンター  42×103

白麻布に 淡いグリーン
区限刺繍、カットワーク、サテンステッチ等
玄関の靴箱の上にあり、いつも 目にしています。

 







 

巾着  20×20

4色のリボンテープを 繋いで作っています。
画像で分かるように いろんな繋ぎ方をしています。
アクセントのビーズが 可愛らしい。

 







 妹の左手

ウッディ粘土で作製。
身長167cm 手足が長く 長い指は 長年の闘病で 骨が浮き出ていました。
大好きだったピアノも いつからか 弾かなった 弾けなくなった。





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