彷徨記

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2006年12月

12月25日

ある意味Mr. PINK以上

  転勤しました(といっても通勤時間が20分ぐらい余計に掛かるだけなので引越しはしてません)
今日から通っている新しい職場の近くには競馬場(以下、A競馬場)があります。
近くに競馬場があるなんて羨ましいですか?
  実は私は競馬場(以下、B競馬場)のすぐ近くで生まれ育ちました。小・中学校はB競馬の厩舎関係者や馬主の子供達が多く通っていました。ちなみにちょっと行けばC競馬場もあります。大学を卒業して某社に就職しましたが、最初の勤務地は現職場近くの別の事業所、すなわちA競馬場の近くでした。私はB競馬場の近くからA競馬場のある街に通勤することになりました。
  数年して、家族で引越しをすることになり競馬場(以下、D競馬場)がある街に移りました。つまりD競馬場のある街で暮らし、引き続きA競馬場の近くで働くことになったのです。
 しばらくして、競馬場(以下、E競馬場)のすぐ近くの別の事業所に転勤がきまりました。そこでD競馬場のある街からE競馬場すぐ近くへの通勤が始まったのです。この転勤は海外のベンチャー企業と仕事をするためでして、短い期間ではありますが海外生活なるものも初体験します。その都市には競馬場(以下、F競馬場)がありました。私のHNはそのF競馬場に由来しています。
 ところが、ある日突然その仕事から抜けて日本に戻るように言われました。異動した職場は最初の勤務地と同じ最寄駅でしたが、A競馬場とは反対方向へバスで20分ほど行った別な事業所でした。
 ある風の強い日のこと、私はあることに気が付きます。
 「近くに馬がいるんじゃないか?」と
風に混じって厩舎独特の匂い感じたのです。
調べてみるとその事業所のすぐ裏手がA競馬の調教場でした。どうりでバスからよく馬運車を見かけるはずです。つまり私はD競馬場のある街からA競馬の調教場すぐ近くへ通勤することになったのです。
ただここでの仕事は長くなく、すぐに競馬とは関係のない場所への転勤が決まりました。
しかし、引越しはしませんでしたので相変わらずD競馬場のある街に住み続けました。
 そして2004年4月のことでした、またまた転勤が決まり今度の異動先も競馬と関係ない場所で、今度は通勤時間が厳しかったので新しい職場の近くに引越しをすることに決めました。
ついに我が人生において初めて競馬とはまったく関係ない街で暮らし、働くことになったのです。
 そして2年8ヶ月が経ち、本日、職場だけですが競馬場の近くに戻って来た次第です。
 そういえば、うちの本社は競馬場(以下、G競馬場)に近いって言えば近いよな。最近はご無沙汰だけど昔はよく仕事帰りにG競馬場に行ったもんだ。ちなみに業種は競馬とはまったく関係ないけどね。
 つまりオイラの半生は、この2年8 ヶ月を除き、自分の意思でも無いのに計7つの競馬場近くを転々としてるってことですが、何か問題でも?

12月20日

想定内と強がってみる

ヴァルプリス
  先週末になって、左前脚の膝ウラ部分に熱と腫れの症状が出てきました。そのため、12/19(火)に栗東TCの診療所でエコー検査を行ったところ、患部は屈腱炎との診断が下されました。症状としてはけっして軽度とはいえませんが、まだ2歳馬で先のある馬ですし、能力も高いことから、池江寿調教師と協議した結果、海外で行われている最新の治療法(本馬のお尻の一部を切り取って細胞を培養し、それを患部に注入して腱繊維として再生させる方法)を本馬に対して施すことになりました。そのため、いったん山元TCへ放牧に出してから、美浦TC近郊の外厩・水野馬事センターへ移動させます。そこで、美浦TCの開業獣医師により本治療を行う予定です。

 この馬に関してはいつかこういう事が起こるだろうと覚悟していたけど、実際に起こるとやっぱりヘコミむよ。でもまさか、これが今年のオチじゃないよね? もう一つ意外オチがあるよね?24日に・・・

12月14日

来年の手帳をまだ買ってないので予定をここにメモ

デルタブルース
12/24(日)中山 有馬記念(GI)に出走予定。
普段のクラブの公式行事に行く気なんぞさらさらないけど、例外で1/14(日)のメルボルンCの祝勝会@京都は出席の予定です。

ヴァルプリス
レース後は変わりなく、脚元にも問題なし。次走は1/7(日)京都 福寿草特別(芝2000m)を予定。
まずはひと安心しました。でも、「両前脚の状態も今のところ問題ありません」と言われて、その日の午後に問題が出た前歴があるからそう簡単には信じないぞ(笑)
一度生でヴァルを見たいんだけど、ひと月に3回も京都に行くのはかなりつらいからなぁ

サカラート
1/21(日)京都 平安S(GIII)で復帰予定。
平安Sは寒かった思い出しかありません(でも、出走が決まったら多分見に行くと思う)

ハイエストブラッド
年内に障害試験を受けるかも?

12月10日

ドキドキの水曜日を待て

  あれだけ泣きを入れていたヴァルプリスエリカ賞であったが、3ヶ月の休み明けで+16kgの馬体増というハンデにも拘わらず、レースでは終始2番手を進み、直線で抜け出してこのまま押し切れるかと思ったところを、一番怖いと思っていたダノンジュンコウにきっちり差されたが2着は確保(後出しになるけど、多少はやれるだろうとの思いはあったんだからね)
便利な物差し馬のマルカハンニバルが4着に来ているので、どうやら上位3頭はそこそこの力がありそうだ。 
 このようにレース結果は上々であったが、あの左前脚を回すヘンテコな走法をしている限り「レース後も脚元に異常なし」の報告を聞くまでは気が休まらない(ふぅーっ)

 ところで、ダノンジュンコウはデビューから3戦とも佐藤哲騎手、朝日杯FSのドリームジャーニーは同じく4戦とも蛯名騎手。目先の1勝を取りに行くのも大事だけど、長い目で見れば騎手を固定することの方がもっと大事じゃないのか?と考えさせられます(昔は良かったって言うオヤジかよ)
まあ、あくまでもクラッシックを意識するような馬の話であって、目先の1勝に追われるワシら零細には縁のない話だけどね。

12月6日

勇気を出そうぜ

ヴァルプリス
 12/9(土)阪神・エリカ賞にペリエ騎手で出走を予定しています。
馬は順調で脚元の状態も問題なく、12/6(水)は坂路コースで追い切られ、半マイル54.3 -38.4-24.8-12.5のタイムをマークし、終い重点の動きでした。500万下のレースながらメンバー自体は揃っており、ここが試金石のレースとなりそうです。(クラブコメントより)

 このエリカ賞は単なる500万特別でありながら、歴代の勝ち馬からGI馬を5頭重賞勝ち馬は当たり前のように輩出しているとんでもなくレベルの高いレースで、今年も重賞レース並みにレベルの高いメンバーが揃ってしまいました。
 ヴァルの某出資者たちは、「このレースの勝ち馬が将来GIを勝ってくれれば、GCの「栄光の名馬たち」に(対戦相手として)ヴァルも映るかもしれないので嬉しい」などと言い出す始末。
おまいら、それがいくつも重賞を勝っているような人たちの言うセリフですか?
オイラは、思い出作りのために出走するレースなどいらんのです。レースに出たら勝利を目指し、もしそれが叶わぬならば一つでも上の着順を獲りに行こうぐらいの気概がなくてどうするんですか!
だから、もう一度提案したい。

「このエリカ賞は勇気を出して戦略的撤退をして、平場でもいいからもっとメンバーが手薄なレースに出走させる訳にはいかんのですか?」

12月4日

労多くして功少なし

  例年に比べて開始の時期が遅いですが、2006年産駒の血統をポツポツと調べ始めました。
今年はIBBAのサイトに白老ファームの生産馬が登録されていないので、まず手始めにNFと追分Fのお気に入りの繁殖牝馬の産駒から(牡馬と牝馬では多少違うのですが、私は種牡馬より繁殖牝馬を重視しています)  
早くも気になる牡馬を一頭見つけましたが、残念ながらこれはキャロット行きの可能性大。
まあ、まだまだ始めたばかりなので、これから何頭かは気になる馬を見つけられるでしょう。
それより、来年こそこの作業が無駄になりませんように。


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