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〜 安心して心を開けるカウンセリングルーム 〜

カウンセラー コラム
山本カウンセラー コラム

「誰でもいい人」なんて、いない

秋葉原のあの事件から、一年が経ちました。
思えば一年前のこの時期は、「誰でもよかった」という無差別殺人事件が、
頻繁に続いていたように思います。そんな事件の被害者の方々と、
そのご家族は、どれほど無念なことかと思わずにはいられません。
ただ同時に、秋葉原の事件をはじめ、それらの事件の加害者たちの
「誰かに分かってほしい」「自分を認めてほしい」という心の叫びが、
聞こえてくるような気がしてならないのです。
そしてその想いが残念ながら叶えられず、家族や仲間からも
「誰でもいい」ように扱われてきたと本人が感じてしまったことから、
孤独を深めて凶行に走ったのかもしれませんね。
・・・孤独な人が自己表現の手段として起こす事件は、
これからも増えるのではないかと、私は恐れています。

ただ、加害者たちがもしそんなふうに、「誰でもいい」ように
扱われてきたことへの、復讐をするほどの恨みをもっていたのだとしたら。
それでも彼らが、自分自身に対して同じことをしてきたのではないと、
いえるのでしょうか。

自分が感じた気持ちを自分で否定したり、
自分の身体や心を自分が粗末に扱ったりしてこなかったのでしょうか。
自分の人生を「どうなってもいい」と投げ出してはいなかったのでしょうか。
自分を傷つけるための材料だけを探してきてはいなかったでしょうか。 

「誰でもいい」ように扱われることにそれほど恨みがあるのに、なぜ、
自分の人生を、犯罪者の人生にしてしまうほど粗末に扱ってしまうのでしょうか。

「誰でもいい人」なんて、いません。
事件の被害者の方はもちろんですが、加害者だってそうではないでしょうか。
どうでもいい人生なんて、ないはずです。

もし、事件の加害者たちに共感する部分がある人がいたなら、、、。
あなたは、「誰でもいい人」ではありません。
どうでもいい人なんて、いません。
まずは、あなたの人生のなかで最重要人物である“あなた自身”が、
大切なあなたの人生をかけがえのないものとして扱ってあげてください。
たとえ誰かほかの人が、あなたの期待を裏切ったとしても。
深く深く、傷ついたとしても。
あなただけは、あなた自身を裏切らないであげてほしい。

・・・私はそう、願ってやみません。


「がんばってもいいよ」

ウツが「心の風邪」と言われて、「がんばりすぎはよくない」という考え方がかなり一般的になっているような気がします。がんばったのに結果が出ないと、バーンアウ ト(燃え尽き)して無気力になったり、悪い時は自殺してしまうかもしれない。がんばりやさんの周囲にいる人たちはそんな心配して、本人に「がんばらなくていいよ」 と声をかけることも多いのではないでしょうか。または、特に若い人たちの間で、「がんばることは損」といわんばかりに、何事にも熱くならずほどほどにやるという 空気も感じます。がんばって結果が出なかった時に自分が傷ついてしまうことを恐れて、最初から「がんばらない」という選択をするのかもしれません。
どちらにしろ、「がんばること」が何か悪いものであるかのような扱いですよね。
ただTVなどを見ると、まだまだ「がんばることは美徳」と思われていることがわかります。オリンピックの時期などは、そのメッセージのオンパレードではないでしょう か。
「がんばる」ことを美化する風土と、それを抑制する「がんばらなくていい」というメッセージ。世の中のがんばりやさんたちの中には、その両方に引っ張られて、混乱 を感じる人もいるようです。

がんばりやさんは、物事に一生懸命に取り組むことができるすばらしい資質をもっています。それなのに、「がんばらなくていい」と言われると、かえって“がんばって いる自分”を否定され、認めてもらえないように感じることもあるようです。たしかに、誰でも、自分のことを認めてもらえないのはつらいですよね。

ただ、もしも「がんばること」に必要以上にこだわっているなら、「がんばっている私=私」という自己認識があるのかもしれません。その場合、恒常的にがんばりすぎ てしまって、本人はとてもつらいものです。そのような方は、「がんばっていなくても私は私」と自分で認められるようになることが、とても大切だと思われます。
カウンセリングで、そのようなこだわりを溶かしていくことに取り組むこともできます。ただそれには、多少なりとも時間がかかるものです。
だからそれまでの間は、「がんばってもいいよ」と自分自身に言ってあげるのも一つの方法だと、私は思っています。
「がんばっていいよ」という言葉によって、「がんばること」と「がんばらないこと」の二者択一ではなく、少し選択の幅を広げてあげることができます。その少しの 幅が、心にゆとりを生み、楽な気持ちになれることも多いものです。
それともう一つ大切なのは、「あの人のためにやっているのだ」「人のせいでがんばらなければならないのだ」と、がんばることの原因を自分の外に求めないことです。
つまり、“がんばること”を自ら選び、“がんばっている自分”に満足するのです。
ジコマンは、時には心のバランスをとるために大切な手段なのです。

がんばりたいあなたは、思う存分、がんばってもいい。でも、がんばりすぎない道もあるかもしれない。どちらがより、あなたにとってBetterでしょうか?よかったらぜ ひ、一緒に考えていきましょう。