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過去のコラム
〜夫婦間の危機に対処する10か条(その1)〜(2010年2月)

私が以前読んだ本に「夫婦間の危機に対処する10か条」というものが載っていました。
これをこのコラムの連載として、いくつかに分けてお伝えしたいと思います。
今回は1つ目です。

夫婦間の危機に対処する10か条
1. なおそうとするな、わかろうとせよ

いかがでしょうか?
今、まさに夫婦間の危機を感じている人にとってはキツク感じる言葉かもしれませんね。
納得したり、ハッとしたり、反発や抵抗、もしくは無反応かもしれませんね。

私がこれを読んで感じたことを述べようと思います。

パートナーに対して「あなたがこうだったら」「あなたが変わってくれたら」と感じてしまうことはよくあることです。
カウンセリングを学んでいるとき、何度も聞いた言葉に「過去と他人は変えられない。自分と未来は変えられる」というのがあります。
相手に変わる気がなかったら、いくらあなたがなおそうとしても変わらないのです。
それなら相手を理解しようとした方が、よっぽど今後の二人の関係に役立ちます。
その「あなたがなおそうとしている部分」も、違う角度で見たらその人の長所や魅力でもあるのです。

自分と人は違うのが当たり前です。
その違いを非難したり嘆くのではなく、その違いを認め合う。
相手の考えが分からなかったらトコトン話し合う。
パートナーに限らず身近な人であったら尚更、自分のことを分かってほしいし、相手のことも分かりたいですよね。
思っているだけでは伝わらないのです。

もし、あなたがパートナーと「話し合えない」「話し合いたくない」「理解したくない」と感じているならば。
もし、あなたがパートナーに対して「わかろうとするよりなおしてほしい」と思ってしまうのならば。
それはなぜでしょう?
あなたの中に何が起こっているのでしょう?
あなたにとってパートナーはどういう存在なのでしょう?

あなた自身の内面を見つめなおす良い機会かもしれませんね。
もし、それを望むのなら、私は精一杯お手伝いさせていただきたいと思っております。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。



〜整体院にて〜(2009年12月)

私がよく通う整体院の流れはこのような感じです。
入り口に立っているとスタッフがこちらに来て「こんにちは」と迎えてくれます。
その場でスタッフから「ご予約カードお持ちですか?」と聞かれ、予約カードを渡します。
スタッフから「こちらで靴を脱いでいただいて、中にお入り下さい。靴はそのままで結構です」と言われ、靴を脱いで中に入ります。
スタッフが椅子を引いて「こちらにお掛け下さい」と言われ、その椅子に座ります。
スタッフが「お水かお白湯をご用意しますが、どちらがよろしいでしょうか?」と聞かれ、例えば「お水下さい」と答えたら水を入れてきてくれて渡してくれます。
そこで少し待っているとスタッフがこちらに来て「お待たせいたしました。更衣室にご案内します」と更衣室に案内してくれます。
更衣室に入るとスタッフがカーテンを閉めてくれます。
更衣室の中に籠が置いてあるので、荷物や洋服を籠の中に入れ、着替え終わってカーテンを開けたら、スタッフがこちらに来て「ご案内します」と籠を持ってくれてベッドまで誘導してくれます。
スタッフから「こちらにお掛け下さい。籠はベッドの下にお入れします」と言われ、座って待っていると担当の先生が来てくれます。

ある日、お客さんがたくさんでスタッフ全員が忙しそうにしていた時に居合わせたことがありました。
ふっと入り口を見ると、お客さんが予約カードを持って立っています。
予約カードを持っているということは、ここに来るのは初めてではないはずです。
その人はマネキンのようにずーっと立っているのです。
やっとスタッフの一人が「こんにちは」とその人に近づいたら、その人はマネキンから人間に変わり、スタッフに予約カードを渡して靴を脱ぎ始めました。
私だったらスタッフが誰も来なくても、勝手が分かるので靴を脱ぎ、予約カードを受付に置いて、好きなところに座って水を勝手に入れて飲むだろうなと思ったとき、「ああそうか」と気づきました。

誰かが先回りして自分に何かを言ってくれたり、やってくれたりすると思考を止めてしまうのです。
自分でできることもやらなくなってしまうのです。
自分に何ができるか分からなくなってしまうのです。
若しくは、「これを自分がやっていいのか?」と躊躇してしまうのです。

「あなたのため」と先回りして何かをしてあげたくなったり、つい口を出してしまったり、その人になるべく負担をかけさせないようにするのは、ある意味優しさかもしれませんが、洗脳でもあるかもしれませんね。
きっとその人から頼られたいんですね。必要とされたいんですね。

あなたは誰かの思考を止めさせていませんか?
あなたは誰かによって思考を止めていませんか?

最後までお読みいただき、ありがとうございます。



〜他人の子、自分の子〜(2009年10月)

私は列に並んでいました。
私の前に母親と息子がいました。
その時、母親が息子に言ったことが私の耳に入りました。
「幼稚園は宿題がなくていいねぇ」

私は「おや?」と思いました。
その言葉にしっくりこないというか、違和感があったのです。
そこで私は理解しました。
「そうか、この二人は親子じゃないんだ」

やはりこの二人は他人でした。
少しして、男の子の母親が現れたからです。
母親が買物をしている間、母親の友達が代わりに息子の面倒を看ていたようです。

自分の子に「宿題をやりなさい」「宿題は済んだの?」と言うけれど、
「宿題がなくていいねぇ」とは言わないような気がするのです。
しかし、子供からしたら「宿題がなくていいねぇ」は同調してくれたと感じる言葉ではないでしょうか。
子供も素直に「そうだね」と言えるような気がするのです。
「宿題をやりなさい」「宿題は済んだの?」と言われても子供はいい気分にはなりません。
他人の子には子供側に立った言葉が言えるのに、自分の子には言えないのです。

それは「期待」しているかしていないかの違いだと思います。
自分の子にはどうしても期待してしまう。
親の尺度で「こうなって欲しい人間像」を子供にあてはめるのです。
そのために子供がどう思っているか、子供の気持ちにどう寄り添うかを考えるよりも、
自分は子供をどうしたいのか、どうすれば子供が自分の思い通りになるのかを優先し、
躾や言葉や態度に表れてくるのではないでしょうか。

それは子供のため、子供を大切に思うからこそだと思います。
自分の子供は可愛いですし、期待もするでしょう。
ご自身もご両親からそのように躾けられた経験から、自分も同じようにしているのかもしれません。

私がお伝えしたいのは、子供も個性を持った一人の人間です。
子供の中で独自の考えや、意見や、夢や目標を持っています。
ですから子供の成長とともに、親の思い通りにいかない部分も出てくると思います。
でも、子供はお母さんが大好きだから、見捨てられたくないから、認められたいから、
お母さんの期待に必死に応えようとする部分もあります。
あなたのお子さんの言葉が本当に望んでいることなのか、それともあなたの期待に
応えようとしているのか今、ここで考えてみませんか?

もし、その見極めが難しかったり、お子さんとの関係性に迷いが生じたら、いつでも心の専門家が
あなたのお手伝いをさせていただきます。

最後までお読みいただき、ありがとうございます



〜分かってほしい気持ち〜(2009年8月)

人は「分かってほしい気持ち」を必ずしも持っているのではないでしょうか。
実は、この「分かってほしい気持ち」は二つのタイプがあります。
それは「分かってほしい気持ち」を「目的」にするか「手段」にするかということです。

例えば、AさんはBさんにあることをされて酷く傷つきました。
BさんはAさんを傷つけるつもりは無く、いろいろな条件が重なり合って、結果的にAさんを傷つけたとします。

もしBさんが「分かってほしい気持ち」を「目的」にする人だとしたら、「傷つけるつもりは無かった」とか、「○○だったから結果的にそうなってしまった」とか「Aさんを傷つけてしまい、申し訳なく思っている」というように「BさんがAさんに伝えたい気持ちをAさんが分かってくれればいい」のです。

もしBさんが「分かってほしい気持ち」を「手段」にする人だとしたら、Bさんはその先に「許して欲しい」という「目的」があるとします。
BさんはAさんに「許して欲しい」から「分かってほしい」のです。
「許してもらえる手段」として、「分かってほしい気持ち」があるのです。
この場合、たとえAさんがBさんの気持ちを分かったとしても、まだ「手段」の段階ですから、BさんはAさんに許してもらわないと目標達成にならないので満足しないのです。

違いは分かりましたでしょうか?
あなたの「分かってほしい気持ち」は「目的」と「手段」のどちらのタイプだと思いますか?

もしあなたが「分かってほしい気持ち」を「目的」だと思っているのだとしたら、相手も同じだと思っていませんでしたか?
あなたが誰かの気持ちを「分かった」としても、その人はその先を求めているのかもしれません。
「分かってほしい気持ち」だけでは満たされないのかもしれません。
あなた自身の「分かってほしい気持ち」がゴールだと思っているのなら、相手が不服そうでもピンとこなかったと思います。

もしあなたが「分かってほしい気持ち」を「手段」だと思っているのだとした場合も同じです。
あなたが誰かの気持ちが「分かった」としたら、相手はそこで満足するかもしれません。
あなたが逆の立場だったらその先の欲求があるのに、相手はそれを求めてこない。
あなた自身の「分かってほしい気持ち」が途中段階だと思っているのなら、相手が満足したことにピンとこなかったと思います。

同じ「分かってほしい気持ち」でも、タイプが違うとこんなにも食い違ってしまうのです。
あなたの大切な人はどちらのタイプですか?
もし、あなたと違うタイプだとしたら、気持ちのズレを感じていたのではないでしょうか。

「分かってほしい気持ち」は「目的」「手段」の二つのタイプがあるということを、ここであなたは知りました。
あなたのタイプ、相手のタイプはどちらなのか認識できたでしょうか?
それを意識しておくと、相手の求めていることを把握しておけますし、事前に自分は何を相手に求めるのか伝えておくことも出来ます。
そのときうまく相手と感情のやり取りできなかったときても、後で冷静に考えてみて「あの人はこうして欲しかったんだ」とか「私はこうして欲しかったんだ」ということに気づけると思います。

これを知っているだけでも、人とより良い関係を築けると思いますよ。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。



〜愛されたい気持ち〜(2009年6月)

 頭なんか良くなくったっていい、君にはスポーツがあるじゃないか
 スポーツなんかできなくったっていい、君にはやさしさがあるじゃないか

これはある詩の一節です。
私はここまで読んだ時、正直がっかりしました。
なぜなら、私は成績が良かったわけではありません。
スポーツなんて、何をやってもできませんでした。
かといって、自分はそんなにやさしいわけでもないと思っています。
なんだか自分は中途半端で、認められていないような気がして悲しくなりました。

しかし、その詩には続きがあったのです。

 やさしくなくったっていい、生きているだけで十分だ

私はこの詩をずっと覚えていました。

人は大切な人から愛されたいとずーっと願っています。
そのためには大切な人を喜ばせなければいけない。
そのためには大切な人の期待に応えなければいけない。
そのためには大切な人を困らせてはいけない。
そのためには大切な人の気持ちを察してあげなければいけない。
そうしないと大切な人は自分を愛してくれない。

このように「○○な自分じゃないと愛されない、認めてもらえない」と人はとかく思いがちです。
これを「条件付の愛」と言います。

でもね。条件なんてなくったっていいのです。
先程の詩の最後の言葉にあったように、どんな自分であろうと愛される価値を人は持っているのです。
あなたの存在、あなたのありのまま、あなたがあなたである限り、それだけで十分なのです。
これを「無条件の愛」と言います。

たとえ大切な人を喜ばせなくても、
たとえ大切な人の期待に応えられなくても、
たとえ大切な人を困らせても、
たとえ大切な人の気持ちが解らなくても、
大切な人はあなたを愛してくれます。

そしてあなたもまた、大切な人を無条件に愛せます。
あなたは今、大切な人を無条件で愛していますか?
その人が今存在していることに感謝していますか?

あなたがもし「無条件に愛されるなんて信じられない」とお感じであれば、それが感じられないほどの経験や痛みや辛さを抱えてきたのだと思います。
もし条件付の愛にあなたが疲れているのだとしたら、カウンセリングを受けるというのも方法の一つです。
無条件で愛し、愛されることを感じてみませんか?

最後までお読みいただき、ありがとうございます。



〜より良い人間関係を手に入れるために〜 (2009年4月)

「あなたの周りの人はあなたの思い通りにならない変な人しかいません」という講義を受けたときに私はハッとしました。
つまり私たちにとって理想の両親、兄弟、配偶者、恋人、友人、上司、先輩、同僚、後輩etc.は存在しないということです。
その人となりの価値観や環境や経験があるので、その人独自の世界観や理想を持っています。
他人がそれに100%当てはまるということはないということです。
つまり、誰もが誰かの「理想の人」にはなり得ないのです。

だからといって「相手に期待しない」「人とは分かり合えない」とガッカリすることはありません。
あなたは今まで誰かと思いが通じ合ったり、分かち合ったという「心が喜ぶ瞬間」を必ず経験していると思います。
よしんばあなたの答えが「全くない」だったとしても、忘れているだけかもしれません。
それは「忘れなければならない」とか「忘れたほうがいい」とあなた自身が意識・無意識に関わらず判断した結果と考えられます。
忘れたのにはそれなりの理由があるのです。

より良い人間関係を築くには、自分自身を知ることから始まります。
カウンセラーは、あなたの存在を受け止め、客観的に今まであなた自身が気づかなかったあなたを色々な角度から見つける手助けをしてくれます。
そこからたくさんの素敵なあなたをあなた自身が気づくことによって、今まで忘れていた「心が喜ぶ瞬間」を思い出すかもしれませんし、その理由に気づくかもしれません。
そしてこれからの「心が喜ぶ瞬間」をストンと感じやすくなるのではないかと私は思います。
そうなるとお互いが理想ではない他人同士でも分かり合えるところもあるという感覚が掴めることでしょう。

どこかで「理想の人は存在しないのだ」ということを頭の隅に置いておき、日頃から自分自身の感情を整理しておけば、より良い人間関係を手に入れられるのではないでしょうか。